2010年08月26日

八重山の音楽ジャンキー・崎枝大樹(BEE! BANG! BOO!) 「東京でやっている以上は、島の色は出さない」

僕が毎年のように石垣島に行くようになったのは、島の自然の美しさもさることながら、この島には剛オジのような人がいるからだ。剛オジとは、もちろん島で知り合った。若い頃は東京の劇団に所属して俳優を目指していたという彼は、過剰なまでに面倒見がいい人で、僕たちが島に行くと仕事そっちのけで毎晩はしご酒に付き合ってくれて、島の人をたくさん紹介してくれる。

今回のブログでは、この剛オジの激動の半生…ではなく、息子の崎枝大樹(さきえだ・ひろき)を紹介したい。彼は「BEE! BANG! BOO!」(ビーバンブー)という管楽器の入った7人編成のロックバンドのリーダーである。

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また、普段は別のバンドで活動しているふたりの従兄弟(崎枝亮作、崎枝将人)と「きいやま商店」というユニットを組んでいる。ギターと三線をかき鳴らし、島の言葉をまくしたてる彼らのパフォーマンスは圧巻で、初めて見る人でも十分に楽しめる。

一昨年、僕の夏休みが運良くきいやま商店の凱旋ライブの日程と重なって、島で彼らの演奏を聴くことができた。
面白かったのはその翌日で、僕は崎枝家の宴会にお邪魔することになった。
親類や同級生らが、酒や料理を手土産に続々と集まってくる。

宴たけなわとなったところで、きいやま商店の演奏が始まった。
それが終わると彼らの父親たちが民謡を披露、トリは90歳を超えたおじいさんが、おばあさんに背中を支えられながら朗々とハイトーンボイスを響かせたのだった。
唄と笑いに包まれた、これぞ島の家族の肖像! 
崎枝大樹の音楽のルーツはここにある。


「小さいときから、種子取(たねどり)祭とか老人会の集まりがあると琉球舞踊を踊ったり、自分たちでネタを考えてコントをやったりしていたから。親たちを楽しませようと一生懸命やってたよ」


島では自分たちの芸こそが最大のエンターテインメント。
逆にいえば、娯楽施設が少ないからともいえるだろう。子どもの頃の島の様子について、崎枝はこう言う。


「当時、島ではNHKしか映らんかったから、ビデオレンタル屋が東京で流行ってるドラマとかを録画したものを100円くらいで貸していて、みんなそれを競って観ていた。『ジャンプ』も1〜2週間遅れの発売だから、東京に旅行して最新号を持って帰るともうヒーロー。ラジオなんか夜12時過ぎると電波が台湾の放送曲にもっていかれて、台湾語しか流れない。もう意味わからん(笑)」


チェッカーズが大好きで目立ちたがりのマセガキだった崎枝少年は、中学に上がるとバンドを結成する。しかし、当時ブームを巻き起こしていた「イカ天」は当然、島では見られない。
そこで彼は、イカ天を観るためだけに、親に頼み込んで東京に連れていってもらった。


「クリスマススペシャルかなんかで、日本武道館にBEGINやカブキロックスが出ていて。その放送を母親とホテルのテレビで観たわけさ。(BEGINの比嘉)栄昇にーにがヴォーカリスト賞をとって、もう興奮したよね。嬉しくてたまらんかったぁ…そのときオレは絶対イカ天に出るぞと心に決めた」


今年34歳になった崎枝は、中学2年ときの感動を思い出し目を赤くした。
しかしその2年後、BEGINと同じ八重山高校に進学した彼は大きなチャンスに恵まれる。
羽田−石垣間の直行便を開通した航空会社がスポンサーについて、過去数年間開催されていなかった「八重山音楽祭」が復活するというのだ。
島の実力派ミュージシャンのみが出演できる島最大の音楽イベントで、すでにプロデビューしていたBEGINも呼ばれるという。
このチャンスを逃すわけにはいかない。数十組がエントリーした「高校生の部」オーディションを勝ちぬいて、崎枝のバンドはこの大舞台に立ったのだ。高校1年の9月のことだった。


「自信もあったし天狗になってたし、八重山音楽祭のあとは音楽で食っていこうと決めていたね」



翌年春には高校を中退、島を離れ東京の音楽専門学校に入学した。
それからさらに2年が経ち、高校を卒業し上京した島のバンド仲間と、「Booing Sheyner」というバンドを結成する。ライブハウスで人気を集めていった彼らはレコード会社の目にとまり、95年ついにメジャーデビューに至った。   

渋谷のスクランブル交差点のスクリーンに1日に4度も告知VTRが流れ、2枚目のシングルはアニメ『天才バカボン』の主題歌に起用されるなど、レコード会社は彼らを猛プッシュした。

しかし、その時点がバンドの全盛期だった。
シングルを出すごとに、セールスは下がっていった。


「最初は、『オレのやりたいことやらせー!』って生意気言ってたけど、売れなくなってからは、バンドのリーダーだし、カネになるようなこともやらなきゃいけないと思って、会社の要請に応じて歌詞を変えて曲を出したりしていた。そしたら、面白い話だけど、ライブハウスのお客さんがいなくなった。人を信用できなくなって、性格もめっちゃ悪くなって後輩に説教したり…思い出したくもないけど。Booingは7年やったけど、最後のほうはもう殺伐としてた。すべて失ったらメンバーもいなくなった。
もう撃沈だったね」



26歳にして味わった人生最大の挫折。
レコード会社や所属事務所との契約が解除され、収入も断たれた。しかし島には恥ずかしくて帰れなかった。なぜなら、デビュー当時、島の人たちは「次の紅白は、BEGIN、夏川りみ、Booing Sheynerだな」というほどの期待を寄せていたから。

それでも、アルバイトで日々の生活費を得ながら崎枝はもう一度返り咲けると自分を信じていた。
待ってくれているファンのためにも、原点に戻ってやりたい音楽を奏でよう。少年時代に憧れたチェッカーズのような、管楽器の入ったバンドをやろうと。
こうして現在のバンドBEE! BANG! BOO! は2005年に結成されたのだ。

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初めてライブハウスで聴いたときから、僕は好きになった。
人生の応援歌のような明快な歌詞と、底抜けに明るいキャッチーなメロディは気持ちがいい。なかでも「Peace & Smile」は、ミニバンのCMから聞こえてきそうなパワー全開の曲だ。
結成以降、BEE! BANG! BOO! は何度かメンバーチェンジを重ね、思うような活動ができない時期もあったが、今年ようやくドラムス以外のメンバーが揃った。まだまだ発展途上で、金が稼げるバンドになっていない。

素人ながらに僕は、もう一皮むけてなにかきっかけさえあればブレイクするのではないかと期待している。「たとえば島をモチーフにした曲をやってみたら?」と崎枝に提案したが、彼はハッキリとこう言った。


「東京でやってる以上、島の色は出さない。それはきいやま商店でやっているしね」


きいやま商店は絶好調で、日本各地からお呼びがかかり旅費もギャラももらえる。こちらの活動にメインにしたほうが食っていけるのだ。
しかし「俺はBEE! BANG! BOO! のほうが大事」と崎枝は言う。あくまで自分が表現したいBEE! BANG! BOO! の音楽で勝負してメジャーシーンにふたたび登りたいのだと。

ならば夢は大きくという意味を込めて、このブログ用の写真は日本武道館をバックに撮った。
照れ笑いを浮かべながら、崎枝は武道館を指さして言った。

「いつか俺もこのステージに立つぞ!」

中学2年の冬に東京のホテルで「イカ天」を観たときと同じ夢を、34歳になった今でも抱きつづけている。崎枝大樹は、音楽なしでは生きていけない音楽ジャンキーだ。

「将来のことで悩むときもあるけど、人前に立って音楽をやっているイメージしかない。音楽は一生やっていくだろうな。それしか考えきれない」

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音楽 「Peace & Smile」 視聴できます!


《ライブ情報》

2010年8月29日(日)『蜂の巣GATE 其の三 〜うむっサマー〜』 渋谷Milkyway

BEE! BANG! BOO! 公式サイト

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2010年08月16日

写真家・シバノジョシアさんがアイスランドを撮り続ける理由

*それは『春にして君を想う』から始まった*

「行ったことがないのに懐かしさを感じる場所ってありますよね」

アイスランドが舞台の映画『春にして君を想う』を初めて見た時、シバノさんは “既視感”を抱いたという。
ヴィム・ヴェンダース監督の映画『ベルリン天使の詩』へのオマージュもあるという『春にして君を想う』は、老人ホームを抜け出した農夫が幼馴染みの女性と故郷の町を目指して旅する物語である。そして、そこに映し出されるアイスランドの自然の景観は、地の果てを思わせるほど広漠としている。

しかし、シバノさん自身は川崎の工場地帯近くの自然にあまり縁がないところで育ったそうだ。それなのに「帰る場所」であるかのような既視感がある。
おのずと湧き起こった「この感覚ってなんだろう」という疑問。
それがアイスランドへの興味のはじまりとなった。

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きっかけが映画。
その言葉が示す通り、シバノさんはとても物腰柔らかで「世界中を飛び回る」というよりは、コツコツとモノづくりをしている姿が似合う人だ。
実際、写真を撮り出す前は、映画製作を志していたという。

『春にして君を想う』を観たのはシバノさんがまだ19歳の時。その後、27歳の時に勤めていたゲーム会社を辞めて映像制作の道を模索することを決断した。実際に脚本を書き、キャストも用意したのだが、ロケハンをしているうちに、いつしか写真のほうに夢中になった。

フォトグラファーに転身後、調整次第で長い休みの取れるフリーランスの立場を活かし、33才で初めてアイスランドに旅立った。『春にして君を想う』を観てから10年以上が経過していたことになる。それでもアイスランドに対する想いは褪せていなかった。
2007年に初滞在してからは毎年写真を撮りに行っており、今年の春には3年分の撮影をまとめ都内2か所で写真展を開催した。



*アイスランド人の中にある無意識を撮りたい*

シバノさんがアイスランドで撮る写真は、主にひと・街・自然。ひとは特にミュージシャンの写真が多い。色彩豊かで躍動感のあるその写真は、氷の国のイメージを振り払い、実際にそこに住んでいる人たちの体温を感じさせてくれる。また、アイスランドがシガー・ロスやビョークという世界的に有名なアーティストも輩出した、音楽活動の盛んな国であることを思い出させてくれる。

しかし、大自然が取り上げられることの多いアイスランドで、あえてミュージシャンの写真を撮るのはなぜだろうか。


「人が環境によって作られていく部分があるならば、アイスランドのような特異な大自然に囲まれ育っていく人たちは、日々どんな喜怒哀楽をもって生活しているのか。そして、それをどのように撮影していくか考えた時に、ライブの写真であれば、パフォーマンスの中で秘めた内面を無意識にさらけだしていく瞬間が撮れるのではないかと思ったんです」

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マムートのヴォーカリストkata。パワフルな歌声とパフォーマンスが魅力


実際にミュージシャンに焦点を当てることで気づいたことがあるという。
アイスランドでは、音楽マーケットの規模が小さいこともあり、プロとアマチュアの境が薄いので、年齢や職業などにとらわれずに活動しているひとが多い。音楽と人との距離が近く、何かを表現するのに躊躇が少ない。
「アイスランドは精神的に自由な面が日本と比べて多いと思うんです」とシバノさんは言う。

「日本ではまだまだ少数派の意見やライフスタイルを表に出す事が難しい場面が多くあるように思います。でも、アイスランドは少ない人口の中でも、そういったマイノリティに対して公平な社会状況のようです。
昨年、同性愛者を公言する女性首相が誕生したことや、つい最近同姓婚が認められた事が象徴的な事ですよね。男女別姓や男性が育児するのもごく自然な事」




*「鏡」の中に自分を探す*

シバノさんは多くの時間を割いて、アイスランドの大らかでリベラルな雰囲気について話してくれた。とても魅力的な国に思えるが、定住について考えが及んだことは無かったそうだ。


「アイスランドの圧倒的な大自然に何度か身を置いてから、不思議な事に故郷である川崎の工場地帯について考える事が以前より増えました。全て人の手によって造られた環境の不自然さや、そういった物だけが持つ魅力を、アイスランドの大地に立つ事でより際立って感じるようになったのかもしれません。川崎は生まれ育った場所なのであらためて「帰る場所」の一つとして強く感じていますし、アイスランドと並行しながら自分にゆかりのある土地をどう撮影していくか日々試しています」


つまりは、シバノさんにとってアイスランドは安住の地ではなく、刺激を受け、創作意欲を掻き立てられる場所なのだろう。


「日本とアイスランドは全く違う環境や価値観もありますが、同じ島国で火山や温泉、漁業や捕鯨国など共通するキーワードも多い。アイスランドは私の中で鏡のような役割を果たしてくれていると感じます。ですからアイスランドに行くたびに、日本という国の良さが再確認できたり、現在の日本はどんな状況に向かっているのかがクリアに見えてきたりする。日本で生きていくためのヒントをアイスランドに探しにいっているのかもしれませんね。近年は経済崩壊なども体験している国ですし、ポジ、ネガどちらの面でも興味が尽きない国です」

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アイスランド名物・ブルーラグーンと呼ばれる温泉でのライブ

自分の正確な姿を映してくれる「鏡」であるアイスランド。
氷と火山の国に投影して見る日本の姿はどんなものなのだろうか。


「日本が必ずしも不自由な事ばかりだとは思わないけれど、
大切な事や物事の優先順位が見づらくなっているように感じます。
報道やニュースが作りだしている面もあるかもしれませんが、
日本は世界的に見ても個人の選択肢が多種あるにも関わらず、
得体の知れない閉塞感が蔓延しているようにも思います」


シバノさんはアイスランドの在り様を記録するというよりは、写真で自分の伝えたいメッセージを表現しようとしているのかもしれない。

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「個人が情報をしっかりと見定めて選択する事の重要性が高まっているだけに、1つの国の有り方、人の生き方みたいな事をアイスランドの写真を通じて紹介していきたいですね」

「見ていただいた方の気持ちが少しでも軽くなったり、そこから何か新しいアイデアが生まれてきたりするような、写真が現実を変えるような効果を生むことを願って今後も活動していきます」


ひとは郷愁を感じたときに切なくなるものだが、何かに恋い焦がれたときにも同じ様な胸苦しさを感じる。恐らく『春にして君を想う』を見てシバノさんがアイスランドの風景を見て抱いた気持ちは、既視感ではなくて慕情に似たものだったのではないだろうか。そして、対象への思い入れを伝えたい気持ちがあるからこそ、私はシバノさんの写真に惹き付けられたのだろう。


★オナビス/シバノ ジョシアWEB
(写真家のプロフィールやフォトギャラリーはこちらから)
★音楽フェス・アイスランドエアウェイブスツアーWEB
(プレスフォトグラファーとしてシバノさんが同行しているツアーのサイトです)
★ICELANDia・アイスランドブログ
(上記ツアー主催者・小倉悠加さんによる日本初のアイスランド楽曲専門オンラインレーベルの公式ブログ。氷国情報がとっても充実しています!



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2010年08月06日

レーシングドライバー塚越広大選手に聞く、時速300km/hオーバーの世界

時速300km/hを超える世界で競い合うスポーツ――。

プロ野球の投手が投げる球も速くておよそ150 km/h、テニスプレイヤーが放つファーストサーブのスピードは200 km/hを超えるくらい。
自分の体が移動する、スキーやボブスレーの選手にしても、200 km/h以下のスピードを感じているに過ぎないのではないだろうか。

「他のスポーツとは比べようもない速度域。見えている景色も全然違います」

と語るのはレーシングドライバーの塚越広大選手(23)だ。
現在、フォーミュラ・ニッポンとスーパーGT(500クラス)という日本のモータースポーツのトップカテゴリーに参戦している。

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塚越選手が乗るスーパーGTのマシンは、今年デビューしたホンダの「HSV-010 GT」



昨年、タカハシはレース関係者を通じて塚越さんと知り合う。
そして、3月のスーパーGT開幕戦が行なわれた鈴鹿サーキットで、塚越さんの戦う姿を目の当たりにし、その力強い走りにすっかりファンになってしまった。

その場で、ふと思った。
まさに新幹線級のスピードの中を競い合うレーシングドライバーとは、レース中はどういった状況に置かれているのか?
サーキット場で観戦しているだけではわからない、レースの裏側を塚越選手に聞いてみた。

まずタカハシが思ったのは、クルマを走らせる時は当然ひとりなわけで、レース中のドライバーってとっても孤独なんじゃないか? ということだ。


「サッカーや野球と比べれば個人競技的なところはあります。
でも、そんなに孤独感はないですよ。レース中には無線でチームとやりとりをしますしね」



それに戦っているのはドライバーひとりというわけではない。
モータースポーツとは、あくまでチームプレーで成り立っているのだと言う。


「クルマを仕上げるメカニックが何人もいて、そのクルマをセッティングするエンジニア、マネージャー、監督、そしてドライバーがいます。
さらに僕らを応援してくださるスポンサーの方々もいる。
走っているのはドライバーひとりですが、それを支えてくれる人たちは大勢いるんです」



タイヤ交換や給油などを行なうピット作業も、スタッフとメカニックの力の見せ所。チーム一丸となって取り組む。
世界最高峰のフォーミュラレース「F1」ともなれば、何百人というスタッフがクルマ作りに関わっている。それがモータースポーツの現実だ。

ドライバー自身への負担もハンパなものではない。
加速時、減速時、さらにはコーナーによっては数秒間ものあいだ、4G、5Gという強烈な加重がレース中のドライバーにのしかかる。例えば首には、頭部とヘルメットを足した重さの4倍や5倍の力がかかるわけだ。それを50周や60周続けるのだから、レースというのはまぎれもないスポーツであり、過酷な一面も存在する。


「フォーミュラ・ニッポンの場合、パワーステアリング装置がついてないので、最初に乗ったときはほんとうに重く感じました。壊れてるんじゃないの?って思うくらい(苦笑)。
ブレーキにしてもすごく硬いんです。レース中は100kg〜150kgくらいの力で踏み込んでいます。思いっきり蹴飛ばしているような感覚ですよ」



それらの動きをドライバーは、ハイスピードの中でサーキットの状況を瞬時に判断しながらクルマを操っている。例えば時速300 km/hで走行中にコンマ1秒でもブレーキの判断が遅れただけで、かなりの距離を進んでしまうということになる。
一瞬一瞬の判断が重要であり、少しのミスが勝敗を左右する世界……。
レーシングドライバーにも他のスポーツ同様、ケタはずれの集中力が求められるのだ。


「レース中は心拍数もかなり上がります。そのため常に正しい判断ができるようトレーニングが必要になってきます。有酸素系のトレーニングはすごく大事ですね。基本は走ること。長距離を走る場合もありますし、なわとびして、走って、最後ダッシュみたいなインターバルトレーニングを先日もやってきたばかりなんです」


ただし、レーシングカーのコックピットは一人のドライバーが運転するための必要最小限の空間しかないため、マラソン選手のように小さくて強い筋肉をつける必要がある。
短距離走の選手のような大きい筋肉をつけてしまうとエネルギーの消費も激しくなるうえ、体にかかるGもその分、大きなものになってしまうからだ。

今シーズン、塚越選手はフォーミュラ・ニッポンの第2戦で2位表彰台を獲得し、スーパーGTの第5戦では金石年弘選手とともに優勝という結果を残している。

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スーパーGTの第5戦「スポーツランド SUGO」で優勝し、喜びを爆発させる塚越選手(左)


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雨の中、フォーミュラ・ニッポン第2戦「ツインリンクもてぎ」で快走。2位表彰台をつかんだ。



そして塚越選手は今、いい結果を出すため“レースで強いドライバー”になることが一番大事だと感じているという。

クラッシュせず最後までしぶとく走る強さ、自分やクルマの調子が悪くても少しでもいい結果を残す強さ、何かトラブルがあっても挽回する強さ、置かれている状況をよりよくする強さ……。
「それがドライバーとして、チームを引っぱる力につながっていくと思うんです」

一見、物腰柔らかな好青年という印象の塚越さんだが、レースへのこだわりを語るときの表情はアスリートそのもの。
次のレースは今週末、フォーミュラ・ニッポン第4戦が栃木にある「ツインリンクもてぎ」で開催される。最後に意気込みを語ってくれた。

「前回、表彰台に乗ることができた『もてぎ』はボクの地元。ですから、なんとしても初優勝を飾りたいという気持ちがあります。GTでの優勝の勢いに乗ってがんばりたいと思います」

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6歳からカートはじめ、レースにのめりこんでいった塚越選手。料理好きという意外な一面も。


塚越広大 オフィシャル ウェブサイト


posted by 若手 at 15:43 | Comment(1) | TrackBack(0) | タカハシ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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