2011年04月01日

ブログ再開にあたって


東日本大震災で被災された方々に、心よりお見舞い申し上げます。

毎日、怒涛のように耳目に入ってくる被災地の報道に、私たちはただ無力感を募らせるばかりです。募金や節電以外に自分にできることはないのかと。
しかし、こういうときこそ、これまで通りに自分たちが面白いと思う人物や事柄を紹介していくことが私たちの役割だと思い至りました。
今後とも、「一期一会の現場から」をよろしくお願い致します。


ゴメス タカハシ ふく子


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2011年03月05日

森の名人と高校生の交流を記録した長編ドキュメンタリー映画『森聞き』監督 柴田昌平さん 「まだ自分の未来を描ききれていない、若い人にも観て欲しい」

ドキュメンタリー映画『森聞き』(3月5日公開)は、高校生たちの真っ直ぐな思春期の感性に、思わず面映くなってしまう作品だ。オレも10代の頃は、毎晩のように「人生の意味ってなんだろう?」と考えていたなぁと。

映画の舞台は、宮崎、北海道、富山、奈良の山村。ここに住む「山の名人」の老人たちを、都市部に住む高校生たちが訪れ聞き書きをするというものだ。

宮崎県内有数の進学校に通う中山きくのさんは、60年以上伝統的な焼畑農法を続ける椎葉クニ子さんに、率直な質問をぶつける。

「焼畑は好きですか?」

おばあちゃんは怒りだして答える。

「焼畑が好きか嫌いか? そんな質問をするもんじゃない。生きるというのは好き嫌いじゃない。これがばあちゃんの生きる道だから」

たった1年でも焼畑をやめたら、縄文時代から受け継がれてきたソバの種が絶えてしまうのだという。その責任感で、85歳のクニ子さんはたいへんな作業を続けているのだ。
進学、就職……人生の岐路にたつ高校生たちは、森の名人たちの背中を見て、生きることの意味を考えていく。

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椎葉クニ子さんと中山きくのさん


『森聞き』は、山村の失われつつある伝統技法に主眼を置いているわけでもなければ、高校生たちの成長の結果を示しているわけでもない。『ウルルン滞在記』みたいに、登場人物の摩擦→理解→涙の別れといった劇的な演出もない。

普通に生活していれば交わることのなかった世代間の不器用な対話。そこから飛び出す老人の格言に、高校生たちは言葉に表現できない何かを確かに感じ取る。その瞬間をこの映画は見逃さない。

監督の柴田昌平さんに話を聞きに行った。
僕が「監督」と呼ぶと遮って、「監督はやめてください。柴田さんにしてくださいね」と人懐っこい笑顔を向ける。

 「中高年の視聴者を満足させるんだったら、名人たちの技の凄さを強調したほうがいい
 ですよね。でも悩んだ末に、若い人向けにしたいと思ったんです。まだ自分の未来を描
 ききれていない、そういう人にも観て欲しい。おじいちゃんたちの背中を見てくれれば
 いいかな。また、高校生たちの“こんな馬鹿な質問しちゃったな”とか、わからないこと、
 恥ずかしい部分、そういうところも残したいと思って」


おばあさんに、「焼畑は好きですか?」なんていう不躾な質問は大人だったらできないだろう。しかし、そんな高校生たちの純粋さが生々しく新鮮に感じられるのもこの映画の魅力だ。

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杉の大木に登り、種を採取する名人杉本充さん(76歳)


『森聞き』を若者向けに作ると決めた理由のひとつに、前作『ひめゆり』での経験があった。この世の地獄と化した沖縄戦を生き抜いた、ひめゆり学徒のおばあちゃんたちの証言を紡いだ映像記録である。

 「『ひめゆり』は、おばあちゃんたちが納得してくれたらいい、そう思って作ったんで
 すが、意外に若い人たちがたくさん見てくれた。あれだけ静かな、余計な情報もない余
 白の多い映画を、若い人たちが受け止めてくれたことが自信になったんです。今の若い
 人は頭いいから、結論を押し付けられるようなものは好きじゃない。みんな考える力や
 感性がありますよ。だから、『森聞き』も、行間を作ってそこに何かが残るようにした
 いと思った」


実は柴田さん自身、聞き書きの経験者なのだ。東京大学で文化人類学を専攻していたとき、山梨県の芦川村(現・笛吹市)にグループで調査実習に行った。2週間程度の実習だったが、帰ってくると誰もレポートをまとめようとしない。柴田さんは責任を感じる一方で、もっと山村のことが知りたいと思い、休学してふたたび芦川村を訪れた。80年代後半のことだ。

 「当時からもう若い人は多くなかったけど、まだ高原野菜の出荷も盛んで生き生きとし
 た農村でした。おばあちゃんと一緒に人参を収穫したり、ほうれん草を袋詰めしたりし
 てましたね。でも去年行ったときは、あのとき手伝った畑が手付かずの森になっていて、
 ずいぶん変わったな〜と」


卒業論文は、芦川村の大正生まれのおばあちゃんの一代記の聞き書きである。
「参考文献ゼロですけど、誰も調査実習のレポートまとめてないから文句言えない。評価はもちろんAですよ!」と言ってまた笑う。

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卒業後はNHKに就職、ディレクターとして沖縄放送局に赴任した。沖縄の人は英語をしゃべっているんではないかというほど現地のことを知らなかったのだが、自分の性格の弱さを知っていたので、あえて遠方を選択したのだという。

 「沖縄でよかったのは、視聴者の顔が見えること。上司も、沖縄の人たちのための放送
 を作れというスタンスでした」

3年半後に東京に戻ってきたが、そこからわずか半年でNHKをやめてしまった。

 「東京は全国放送じゃないですか。誰に向けて作ればいいのかわからなくなっちゃった
 んです。沖縄向けの提案は却下されて、NHKとしては僕を育てようとしてたんですけ
 ど……わからなくなっちゃって。ある日、青森に取材だったんですけど、羽田空港に向
 かう途中で行けなくなってしまってそのまま失踪したんです(笑)」


逃避行の目的地は沖縄。しかし、手持ちの現金はない。銀行で預金を引き出すと足がつく……と妙に冷静な判断をした柴田さんが向かった先は、山谷だった。そこには、故郷の村から脱走してきて身寄りのない人、かつて殺人を犯した人などスネに傷持つ者たちが大勢いた。彼らに混じってマンション建設現場で稼ぎ、航路で沖縄へ。そこで、沖縄放送局時代から親交のあった人物にかくまってもらったのだが、その人物とはなんと、あの名曲「ハイサイおじさん」で有名な喜納昌吉だった。

沖縄で過ごすうちにやがて心も落ち着き、東京に戻りNHKに辞表を出した。そして、「民族文化映像研究所」で映像記録の基礎を学んだ後、映像制作会社「プロダクション・エイシア」を設立、『新シルクロード』『世界里山紀行』などの名作を制作している。

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『森聞き』の試写会を見て、ある女性は涙を流しながら柴田さんに語ったという。

 「彼女は子育てとかいろんなことを背負っていて、やりたいことがあってもそこから脱
 せない、どうしようもない状況だったんだけど、焼畑のおばあちゃんの言葉を聞いて、
 先が見えないところに光を与えてくれたと言うんです」


高校生たちと同じ目線に立ってみれば、より一層名人たちの言葉の深さが、まるで詩が響き合うように感じられるはずだ。

柴田さんの優しい眼差しが注がれた『森聞き』、是非観てください!!!
 

●長編ドキュメンタリー映画『森聞き』
3月5日より、東京・ポレポレ東中野で公開、以降全国順次公開予定
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★映画『森聞き』公式サイト




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2011年02月11日

日本初(?)のスパイス専門誌『Spice Journal』編集長カワムラケンジさん 「スパイスは世界中の料理の最大公約数なんです!」

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大阪のカワムラケンジさんから、『Spice Journal』の最新号と「チキンカレーキット」が届いた。雑誌は後で読むことにして、早速カレーキットを試してみたくなった。小さな透明のビニールの袋に、小分けされた何種類かのスパイスとレシピが行儀よく収まっている。封を開けた途端、スパイスの香りが部屋中に膨らんで幸せな気持ちになった。

カレーパウダーミックス、ガラムマサラ、クローブ、グリーンカルダモン、ローリエ…スパイスの内容がレシピに記されているのだが、料理をほとんどやらない僕にはどれがどれだかだかさっぱりわからない。『Spice Journal』03号に目を移すと、幸いこの号ではスパイスの詳細な解説が特集されていた。なるほど、この小さな木の枝の欠片みたいなのはカシアシナモンというのか……。よくカプチーノについているセイロンシナモンよりも、カシアシナモンは煮るほどに甘味と辛味と苦味が混ざりあい複雑な味が出るのだという。

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『Spice Journal』03号誌面


食材を揃えて、馴染みのないスパイスたちに悪戦苦闘しながら約1時間半、レシピ通りに作ってみると、おおっ! 本格インド料理屋でいただくカレーの味みたいじゃないか! 美味しかったですよ、カワムラさん!

 *

今回のブログの主役は、このミニコミ誌『Spice Journal』の編集長・カワムラケンジさん。キャッチコピーは「スパイスが紡ぐ味と人」で、レシピ、インド旅行記、スパイスの科学的分析などで構成される「日本初?」のスパイス専門誌だ。

昭和40年に大阪の藤井寺市で生まれたカワムラさんは、高校を卒業後バイクレーサーを目指していたが怪我で挫折、レースで嵩んだ借金を返すため小さな喫茶店で働き始めたことが、料理の道へ進むきっかけだった。

 「ワインやスペイン料理を出している小洒落た喫茶店で、エレガントなお嬢さんばか
 り勤めているんですよ。僕はブルーワーカーな雰囲気なので居心地悪かったんですけ
 ど、厨房で料理を作っていると彼女たちが『料理できる男ってカッコいい』と言うわ
 けですよ。『何がカッコええねん! ふざけたこと言うなよ』と照れ隠ししながら、
 料理できると女の子にモテるんやと、そこが始まりですね」


喫茶店の支配人がいい人で、料理学校に通わせてくれた。同時に、中華料理店で給料なし、住み込みの丁稚奉公も始めた。朝10時から喫茶店で働き、夕方から料理学校で学び、深夜3時まで中華料理店で働くという生活。

 「中華は絵に書いたような裏道の大衆食堂で、お客さんは長距離トラックの運転手や
 そのスジの人たちなど荒くれ者ばかり。寝る間もなく働きましたけど、20代は元気な
 んで。綺麗なお姉ちゃんにモテたい、うまい料理作ったらやらしてもらえるんや! 
 という勢いで、もう犬のようにまっすぐ行きましたね」


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男子のモチベーションはやがて、プロ意識に変わっていく。様々な料理を多角的に勉強していくなかで、特に興味をもったのが「カレー」だった。

 「カレーほどポピュラーなのに得体の知れないものはない、そう思ったんです」


しかし、カレーを研究しようとしても、当時は本格的なカレーの専門書は少なく、いろんな店を訪ねても、カレーの材料といえば「カレー粉」や「ルー」と言われるばかり。しかし、大阪でもっとも古いインド料理屋「アショカ」を訪れたときに、「ターメリック」や「コリアンダー」などカレーを構成するスパイスの名前を初めて聞いた。やがてエスニック雑貨店などでスパイスは容易に入手できるようになり、カレーの謎を解明する旅が始まり悪戦苦闘しながら腕を磨いていった。

 「それでも、カレー=旨みやコクといった固定観念があったんですが、それを壊して
 くれたのは、この頃から始めたライター仕事を通して出会ったインド人たちです。同
 じインド人といっても、宗教やカーストの違いによって料理もさまざま。この小さな
 島国で、カオスのように混在している彼らとの出会いが、カレーに対する固定観念を
 壊してくれたんです」


そのカオスの根底にあるのはスパイスだと気づいた。スパイスは日本、中華、西洋、あらゆる料理に用いられ、そして自由だ。「こう調理しないといけない」という規則はない。

 「同じインド人でも、ひとりひとりスパイスの使い方、料理への考え方が違います。
 そこから見えてくる人間模様が刺激的で面白くて。スパイスは料理と人間をつなぐも
 ので、世界中の料理の最大公約数なんだと思って、『スパイスが紡ぐ味と人』という
 メッセージを発信しているんです」

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神保町の「マンダラ」のカレーに舌鼓を打つカワムラさん


いま、スパイス研究家として様々なカレーショップに「カワムラブレンド」のスパイスを提供するほどになったカワムラさんだが、彼の探究心のバックボーンにあるものは、幼少期、大阪の町で培った「突撃、隣の晩ご飯」体験である。

カワムラさんの母親は料理にこだわりのある人で、マナーにも厳しかった。食事中は食卓しか見てはダメで、テレビを見ながらなどもってのほか。食卓には、ご飯、天ぷら、野菜の煮付け、お吸い物などがいつも綺麗に整理されて並んでいた。

 「うちにはソースとかマヨネーズがなかったんです。母親が、そんなものつけるのは
 おかしいと。でも、友だちの家で夕飯をご馳走になると、バリバリに潰れたような
 キャベツに、マヨネーズがベトベトにかかっている。うちのキャベツは、針金のよ
 うに細く千切りになっていて醤油しかつけてはいけないのに。キャベツの食べ方ひ
 とつとっても、この違いは何なんやろ? と思いまして。友だちの家では、魚でも
 豚でもなんでもフライにしてトンカツソースでベトベトにして食べている。お父さ
 んは肉体労働者で、帰ってくると腹巻から新聞とか競馬のメモとかいろんなもんが
 出てくるんですよ。で、テレビで阪神の試合をみてる。食卓のすぐ横にはパンツと
 か靴下とかが干してあってね。そんな中、みんなでフライを食う。うちではありえ
 ない食卓の光景でカルチャーショックでしたね、この家はワイルドやな〜って」


その違いが面白くて、他の家での食べ歩きが趣味になった。「カワムラさんちのケンちゃん」は近所で有名になった。「いつでも食べにきてええのよ〜」と声をかけられるままに遠慮せず毎晩誰かの家でご馳走になっていたが、やがて訪れると居留守を使う家も出てきて、泣きながら大人たちに抱えられて自宅に連れ戻されたこともあった。

料理からその家の文化が見える。その違いが面白い。だから、インドカレーひとつとっても、「こうでなきゃいけない」なんてことはないのだ。最近、仲のいいインド人にインド料理を教えているという。

 「これ入れたら旨くなるよって、カレーリーフをあげたら、『ありがと〜』って喜
 んでブチブチちぎって鍋に入れてるんですけど、使い方まちがっているんですよ。
 でもそれでいいんです、家庭料理は。料理でもてなそうとする気持ちが一番大事で、
 それを美味しくいただく気持ちが大事。そこには理屈じゃなく、フィジカリティが
 99%あるわけです」


カワムラさんの熱意と感性が凝縮された『Spice Journal』。年間購読者には、カレーキットも付いてくるので、ご興味ある人は是非手にとってみてほしい。


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『Spice Journal』04号発売中! 詳しくは下記URLへ
http://www.osaka-spice.net/

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