2010年09月28日

「太鼓笑人めでたい」のリーダー・関根まことが奏でる 和太鼓の限りない可能性

夏の終わりの気配がどこにも見当たらない9月の頭、三重県の伊勢神宮に隣接する観光地
「おかげ横町」一帯は、太鼓の響きに包まれていた。
8回目の開催となったこの「神恩感謝 日本太鼓祭り」には、全国各地から和太鼓奏者約200人が集い、河川敷などに設置された5カ所の会場で、炎天下、熱演を繰り広げていた。

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9月4〜5日、伊勢神宮周辺は太鼓の響きに包まれた

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見晴らしのよい河川敷の特設ステージ


東京の若手実力者4名から成るユニット「ひむかし」の周囲が沸いていた。
チャッパという小さなシンバルのような打楽器を用い、パントマイムのように、チャッパをグローブにして目に見えない何かを投げて音のキャッチボールを演じている。これで観客の心をガッチリとつかんだ彼らは、次の演目では太鼓を鳴り響かせた。

関根まことのソロが始まった。
誰よりも大きな音を轟かせて、担ぎ太鼓を連打する。その姿は、取組に臨む力士が塩をおもいきりまき散らして見栄を切るような迫力。
さあ、俺の太鼓が始まるぜ! とでもいうような。

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伊勢太鼓祭りにて。見事なバチさばきで観客を沸かす


関根まことはその体格に似合わず(?)、繊細なパフォーマンスをみせる。
片方の腕をぐるぐると回して輪を描きその合間を縫ってもう片方の腕で太鼓を打ったり、ジャグリングのように空中にバチを投げながら正確にリズムを刻む。見た目にも面白いエンターテインメントとして完成している。

 *

太鼓といえば盆踊り、というイメージを持っている人は、彼らプロの太鼓奏者の演奏を見れば認識を新たにするだろう。

世界的にも評価の高い佐渡の「鼓童」をはじめ、日本には多くのプロ和太鼓チームがある。僕もはじめてプロの太鼓を聴いたときには、「え〜、太鼓ってこんな凄いんだ!」と衝撃を受けたものだ。小さな締太鼓の甲高く鋭い音は聴く者の眉間に刺さり、ド迫力の大太鼓の波動は腹にずしんと響いてくる。大小様々な太鼓が織りなすグルーヴは、まるでジャズのビッグバンドのようで、ほんとうにこれは打楽器だけで構成されている音楽なのだろうかと思うほどだ。



関根まこと、中条きのこ(左)、江上瑠羽(右)による演目

 「太鼓のプロですって言うと、『じゃあ、夏なんか忙しいの?』と言われます」

関根まことはそう言って笑う。
28歳の彼は、「太鼓笑人めでたい」というチームのリーダーで、今もっとも勢いのあるプロの太鼓奏者だ。「めでたい」の公演や、ジャズやバレエなど他ジャンルとのコラボレーションを展開するほか、保育園や幼稚園、学校などで演奏し、子どもたちに和太鼓の魅力を伝えている。

 「和太鼓は、世界の打楽器のなかで一番大きいし、出る音も一番大きい。世界に誇れる
 日本の楽器だと思うんです。海外で演奏しても、みんなスタンディングオベーション、
 ジャパニーズドラムは人気高いですよ」


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 *

関根まことは、東京・品川区の埋立地に建つ八潮パークタウンという団地で育った。

 「ビルが1号棟から69号棟までバーッと建っていて、小学校が3つ、中学校が2つ、
 保育園が5、6ヵ所、すべてその中でまかなえちゃうような、どこか閉鎖的な街だった
 んです」

八潮には、助六流という流派の岬史郎さんという太鼓奏者が住んでいた。岬さんは街おこしの一環として、「八潮太鼓」を立ち上げた。
最初の参加者は関根が入園した保育園の先生たちだった。

 「パークタウン祭りというのがあって、先生たちが山車の上で太鼓を打っていたんです
 よ。本格的で、かっこいい! と思って。それから僕は高いところに登っては太鼓の真似
 をして段ボールをいくつも潰してました」


八潮太鼓に入れるのは小学校3年生以上だったが、太鼓をやりたくて仕方がなかった彼は、2年生で入団を許された。中学までは、太鼓をやっていることを周囲に知られるのが恥ずかしくて控えめだったというが、高校生になって「大人の部」に所属すると意識が変わった。
「太鼓の練習があるんで」と言っては午後の授業を抜け出し、練習に没頭する毎日。
「江戸寿太鼓」という、八潮太鼓の中から選りすぐりのメンバーで構成されたチームにも参加した。
そして高校卒業後、さらに上を目指すべく「東京打撃団」というプロチームに第一期研修生として入団した。

そのときに受けたプロの洗礼について、彼は勢いよく語りだした。

 「はじめて稽古場に入ったとき、先輩たちのやっていることが全然分からなかったんで
 すよ。ドラムと同じような細かいフレーズなどの練習なんですが、それが超人的なんで
 す。『凄い!』というより、『あ、ちがうところに来ちゃったな』と(笑)。当時は上
 下関係が厳しくて、太鼓のセッティングや倉庫の出し入れなど、雑務はほぼすべて僕の
 仕事。雑務に追われて練習する時間もとれない。それでも、なにくそ根性で必死にやり
 ました」


そして、1年後に晴れて正メンバーに昇格。しかし、その中で居場所が見つけられなかった。個性豊かなメンバーの中で、関根は自分の武器を持っていなかったのだ。ほかのメンバーは自分とは輝きがちがう、自分がいなくても打撃団は成立するのではないかと、ステージの上では対等だと頭では分かっていても関根は一歩引いてしまっていた。

それを打破したのは、小学校2年生から続けていた助六流の打法だった。

 「ある演目で、横打ちをやることになったときに、自分には何ができるかなと考えて腕
 まわしやバチまわしを入れてみたんです。八潮では当たり前すぎて誰も面白いとは言わ
 ないことが、打撃団では評価された。それまではとにかく打撃団流の打ち方をしていた
 けど、自分のスタイルでやってもいいんだと、目の前がパーッと開いた瞬間でした。
 もちろん、八潮そのままの方法ではなくて、難易度をあげていきました。それ以来、
 ほかの演目にも自信がついて。だから5、6年前の当時の自分と、今の自分は全然ちが
 いますね」

ph5.JPG 関根まことの演奏は、力強さと繊細さを併せ持つ

プロとしての自信が芽生えたその頃、「太鼓笑人めでたい」を立ち上げた。2年前にはこのチームを運営していくための会社を起こし、代表を務めている。

 「明確な目標としては、5年の間に東京国際フォーラムでの公演を実現することを目指
 しています。それも一度やったら終わりというのではなく、その後も毎年続けていくた
 めにはどうしたらいいか。東京だけでなく地方からもお客さんを集めるためには、どう
 いうエンターテインメントのかたちをつくっていったらいいか、それを常に考えていま
 す」


伊勢の太鼓祭りから一週間後、東京で「めでたい」の自主公演があった。よく練られた演出はかたときも観客をあきさせることがなく、エナジー溢れる演奏は心躍る、というより全身で踊りだしたくなるようなものだった。

彼らの演奏を是非いちど生で観てもらいたい。
これはお金を出して見る価値のあるエンターテインメントであると、納得するはずだ。

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太鼓笑人めでたいHP 


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2010年08月26日

八重山の音楽ジャンキー・崎枝大樹(BEE! BANG! BOO!) 「東京でやっている以上は、島の色は出さない」

僕が毎年のように石垣島に行くようになったのは、島の自然の美しさもさることながら、この島には剛オジのような人がいるからだ。剛オジとは、もちろん島で知り合った。若い頃は東京の劇団に所属して俳優を目指していたという彼は、過剰なまでに面倒見がいい人で、僕たちが島に行くと仕事そっちのけで毎晩はしご酒に付き合ってくれて、島の人をたくさん紹介してくれる。

今回のブログでは、この剛オジの激動の半生…ではなく、息子の崎枝大樹(さきえだ・ひろき)を紹介したい。彼は「BEE! BANG! BOO!」(ビーバンブー)という管楽器の入った7人編成のロックバンドのリーダーである。

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また、普段は別のバンドで活動しているふたりの従兄弟(崎枝亮作、崎枝将人)と「きいやま商店」というユニットを組んでいる。ギターと三線をかき鳴らし、島の言葉をまくしたてる彼らのパフォーマンスは圧巻で、初めて見る人でも十分に楽しめる。

一昨年、僕の夏休みが運良くきいやま商店の凱旋ライブの日程と重なって、島で彼らの演奏を聴くことができた。
面白かったのはその翌日で、僕は崎枝家の宴会にお邪魔することになった。
親類や同級生らが、酒や料理を手土産に続々と集まってくる。

宴たけなわとなったところで、きいやま商店の演奏が始まった。
それが終わると彼らの父親たちが民謡を披露、トリは90歳を超えたおじいさんが、おばあさんに背中を支えられながら朗々とハイトーンボイスを響かせたのだった。
唄と笑いに包まれた、これぞ島の家族の肖像! 
崎枝大樹の音楽のルーツはここにある。


「小さいときから、種子取(たねどり)祭とか老人会の集まりがあると琉球舞踊を踊ったり、自分たちでネタを考えてコントをやったりしていたから。親たちを楽しませようと一生懸命やってたよ」


島では自分たちの芸こそが最大のエンターテインメント。
逆にいえば、娯楽施設が少ないからともいえるだろう。子どもの頃の島の様子について、崎枝はこう言う。


「当時、島ではNHKしか映らんかったから、ビデオレンタル屋が東京で流行ってるドラマとかを録画したものを100円くらいで貸していて、みんなそれを競って観ていた。『ジャンプ』も1〜2週間遅れの発売だから、東京に旅行して最新号を持って帰るともうヒーロー。ラジオなんか夜12時過ぎると電波が台湾の放送曲にもっていかれて、台湾語しか流れない。もう意味わからん(笑)」


チェッカーズが大好きで目立ちたがりのマセガキだった崎枝少年は、中学に上がるとバンドを結成する。しかし、当時ブームを巻き起こしていた「イカ天」は当然、島では見られない。
そこで彼は、イカ天を観るためだけに、親に頼み込んで東京に連れていってもらった。


「クリスマススペシャルかなんかで、日本武道館にBEGINやカブキロックスが出ていて。その放送を母親とホテルのテレビで観たわけさ。(BEGINの比嘉)栄昇にーにがヴォーカリスト賞をとって、もう興奮したよね。嬉しくてたまらんかったぁ…そのときオレは絶対イカ天に出るぞと心に決めた」


今年34歳になった崎枝は、中学2年ときの感動を思い出し目を赤くした。
しかしその2年後、BEGINと同じ八重山高校に進学した彼は大きなチャンスに恵まれる。
羽田−石垣間の直行便を開通した航空会社がスポンサーについて、過去数年間開催されていなかった「八重山音楽祭」が復活するというのだ。
島の実力派ミュージシャンのみが出演できる島最大の音楽イベントで、すでにプロデビューしていたBEGINも呼ばれるという。
このチャンスを逃すわけにはいかない。数十組がエントリーした「高校生の部」オーディションを勝ちぬいて、崎枝のバンドはこの大舞台に立ったのだ。高校1年の9月のことだった。


「自信もあったし天狗になってたし、八重山音楽祭のあとは音楽で食っていこうと決めていたね」



翌年春には高校を中退、島を離れ東京の音楽専門学校に入学した。
それからさらに2年が経ち、高校を卒業し上京した島のバンド仲間と、「Booing Sheyner」というバンドを結成する。ライブハウスで人気を集めていった彼らはレコード会社の目にとまり、95年ついにメジャーデビューに至った。   

渋谷のスクランブル交差点のスクリーンに1日に4度も告知VTRが流れ、2枚目のシングルはアニメ『天才バカボン』の主題歌に起用されるなど、レコード会社は彼らを猛プッシュした。

しかし、その時点がバンドの全盛期だった。
シングルを出すごとに、セールスは下がっていった。


「最初は、『オレのやりたいことやらせー!』って生意気言ってたけど、売れなくなってからは、バンドのリーダーだし、カネになるようなこともやらなきゃいけないと思って、会社の要請に応じて歌詞を変えて曲を出したりしていた。そしたら、面白い話だけど、ライブハウスのお客さんがいなくなった。人を信用できなくなって、性格もめっちゃ悪くなって後輩に説教したり…思い出したくもないけど。Booingは7年やったけど、最後のほうはもう殺伐としてた。すべて失ったらメンバーもいなくなった。
もう撃沈だったね」



26歳にして味わった人生最大の挫折。
レコード会社や所属事務所との契約が解除され、収入も断たれた。しかし島には恥ずかしくて帰れなかった。なぜなら、デビュー当時、島の人たちは「次の紅白は、BEGIN、夏川りみ、Booing Sheynerだな」というほどの期待を寄せていたから。

それでも、アルバイトで日々の生活費を得ながら崎枝はもう一度返り咲けると自分を信じていた。
待ってくれているファンのためにも、原点に戻ってやりたい音楽を奏でよう。少年時代に憧れたチェッカーズのような、管楽器の入ったバンドをやろうと。
こうして現在のバンドBEE! BANG! BOO! は2005年に結成されたのだ。

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初めてライブハウスで聴いたときから、僕は好きになった。
人生の応援歌のような明快な歌詞と、底抜けに明るいキャッチーなメロディは気持ちがいい。なかでも「Peace & Smile」は、ミニバンのCMから聞こえてきそうなパワー全開の曲だ。
結成以降、BEE! BANG! BOO! は何度かメンバーチェンジを重ね、思うような活動ができない時期もあったが、今年ようやくドラムス以外のメンバーが揃った。まだまだ発展途上で、金が稼げるバンドになっていない。

素人ながらに僕は、もう一皮むけてなにかきっかけさえあればブレイクするのではないかと期待している。「たとえば島をモチーフにした曲をやってみたら?」と崎枝に提案したが、彼はハッキリとこう言った。


「東京でやってる以上、島の色は出さない。それはきいやま商店でやっているしね」


きいやま商店は絶好調で、日本各地からお呼びがかかり旅費もギャラももらえる。こちらの活動にメインにしたほうが食っていけるのだ。
しかし「俺はBEE! BANG! BOO! のほうが大事」と崎枝は言う。あくまで自分が表現したいBEE! BANG! BOO! の音楽で勝負してメジャーシーンにふたたび登りたいのだと。

ならば夢は大きくという意味を込めて、このブログ用の写真は日本武道館をバックに撮った。
照れ笑いを浮かべながら、崎枝は武道館を指さして言った。

「いつか俺もこのステージに立つぞ!」

中学2年の冬に東京のホテルで「イカ天」を観たときと同じ夢を、34歳になった今でも抱きつづけている。崎枝大樹は、音楽なしでは生きていけない音楽ジャンキーだ。

「将来のことで悩むときもあるけど、人前に立って音楽をやっているイメージしかない。音楽は一生やっていくだろうな。それしか考えきれない」

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音楽 「Peace & Smile」 視聴できます!


《ライブ情報》

2010年8月29日(日)『蜂の巣GATE 其の三 〜うむっサマー〜』 渋谷Milkyway

BEE! BANG! BOO! 公式サイト

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2010年07月26日

沖縄の海人写真家・古谷千佳子さん 「文化をつなげていけば、新しい芽が何かを始める」

海人(うみんちゅ)写真家・古谷千佳子さんの作品は、モノクロがよく似合う。

写真の中のオジィたちは、サバニと呼ばれる小型木造漁船で海に漕ぎ出し、風と潮を読み、海深く潜って魚を捕るという昔からの漁法を続けてきた海人たちだ。

しかし現在、その後継者が減ってきている。
モノクロが似合うと感じる理由は、彼女の作品が、失われていくものの重要な記録になってしまうという、寂しい予感をはらんでいるからだろうか。


「5年くらい前、すごく焦っていた時期がありました。
オジィたちがもういなくなっちゃう! って思って、天気が良ければ海に飛び出しては撮っていました」



今回、古谷さんに会ったのは那覇のカフェ。
テーブルに広げた写真集を見ながら、「このオジィも最近、陸にあがっちゃってね…」と古谷さんは言う。笑顔の中に、寂しさがよぎる。


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海の底にいるグルクンの群れを追い込み棒で追いあげて網で捕る「アギヤ漁」


写真家になる数年前、古谷さんは海人として漁業に従事していた。
出身は東京だが、15歳のときの家族旅行で沖縄の海に出会って以来、ダイビングを通して海人との交流を重ねながら、沖縄移住を目論んでいた。

大学で美術(油絵)を学び、2年間のOL生活を経て、「勘当同然で」海人になるべく沖縄に飛んだ。住む家も決まっていなかったが、宜野座に空き家を見つけ、持ち主のオバァに「草刈りするから住まわして〜」と頼み込んだ。

そして、モリでタコを捕る名人のオジィに弟子入りを志願する。
しかし、東京から突然やってきた若い娘がそう簡単に受け入れてもらえるはずがない。
まずは若手を説得し、モズクの収穫を手伝ったりして距離を縮めていった。


「あるとき、『あのオジィと一緒に泳ぎたい』と頼んで、近くでおろしてもらったんです。
でもすぐにオジィの船に乗せてもらえるわけがないので、2時間くらいオジィの横をぴったり泳いでいたら、『あがりなさい』と乗せてくれたんです。
海人は言葉よりも行動で示さないといけない」



タコ捕り名人のオジィの船に乗ったことで、他の海人たちも彼女を認めてくれた。
それから3年間、沖縄の海をたっぷりと全身に吸収した彼女は、東京に戻りスタジオに就職、写真を本格的に学んだ後、ふたたび沖縄に移住したのだ。


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タコの住み家を泳いで回り、モリで突いて捕る「タクマーイ」と呼ばれる漁法


なぜ彼女は沖縄に導かれたのだろう? 
「ご縁があった」と古谷さんは言うけれど、必然的な理由があったのだと思う。

彼女をつき動かしている源は、小学生の頃に抱いた直感だ。


「海も山も植物も動物もみんな地球の細胞であって、皮膚一枚に自分は閉じ込められているだけ。『私』が『あなた』に入らなかったのはなんでだろう?」


人は自然から離れて生きることはできない、そして他者との関わりなしに生きることはできない。そのことを頭で考えるよりも先に、身体で吸収し学べるところ、それが彼女にとっては沖縄の海だった。

ひたすら海と海人を吸収して12年、海とそこに生きる人々は刻々と変わっていく。


「もちろん、海人の伝統がなくなってほしくはないですが、変わっていくことはしょうがないことで、受け入れなきゃいけないとも思います。
でも寂しい寂しいと言っているだけじゃなくて、次につなげていくことが表現者としての私の使命なんじゃないかって。
それによって新しい芽が生まれて、何か始めると思うから」



一昨年に男の子を出産した。
撮影現場に連れていくと、海辺のオジィやオバァが可愛がってくれる。

「素晴らしい教育になるじゃないですか」と水を向けると、「魚より、操船方法とか船の構造に興味があるみたいで、ずっとエンジンを見ているんですよ」と苦笑する。
優しい母親の目になった。

子どもを授かったことは、彼女の表現にも変化をもたらした。


「ホルモンバランスが変わると自分の感覚も変わるらしいんですよ。
今まで興味がなかったピンクやパステルの服がかわいいと思えるようになったり。
今はもっと内面的なものの表現を目指していて、『色』がもっと出てくるんじゃないかと思います。写真って自分がそのまま出るものなんですよね」



これからどんな色の沖縄を、古谷さんは見せてくれるのだろう。
やりたいことを熱く語る彼女の顔は、まるで純粋な少女のようだ。
こんなに素敵な写真家と、いつか大きな仕事をしたいと思う。

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7月初旬、那覇市内の公園にて

ふるや・ちかこ 
東京生まれ。沖縄在住。海辺の暮らしや自然崇拝を主に撮影。東京、沖縄ほか各地で写真展やトークショーなどの活動を展開している。TBS『情熱大陸』などTV・ラジオ番組にも多数出演。2008年に写真集『たからのうみの、たからもの』(河出書房新社)出版。最新刊は脳科学者・森岡周氏との共著『脳を学ぶA』(協同医書出版社)。8月8日に放送予定のテレビ東京『ソロモン流』に出演。

海人 写真家 古谷千佳子公式HP



脳を学ぶ 2

脳を学ぶ 2

  • 作者: 森岡 周
  • 出版社/メーカー: 協同医書出版社
  • 発売日: 2010/04/28
  • メディア: 大型本




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