2011年02月11日

日本初(?)のスパイス専門誌『Spice Journal』編集長カワムラケンジさん 「スパイスは世界中の料理の最大公約数なんです!」

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大阪のカワムラケンジさんから、『Spice Journal』の最新号と「チキンカレーキット」が届いた。雑誌は後で読むことにして、早速カレーキットを試してみたくなった。小さな透明のビニールの袋に、小分けされた何種類かのスパイスとレシピが行儀よく収まっている。封を開けた途端、スパイスの香りが部屋中に膨らんで幸せな気持ちになった。

カレーパウダーミックス、ガラムマサラ、クローブ、グリーンカルダモン、ローリエ…スパイスの内容がレシピに記されているのだが、料理をほとんどやらない僕にはどれがどれだかだかさっぱりわからない。『Spice Journal』03号に目を移すと、幸いこの号ではスパイスの詳細な解説が特集されていた。なるほど、この小さな木の枝の欠片みたいなのはカシアシナモンというのか……。よくカプチーノについているセイロンシナモンよりも、カシアシナモンは煮るほどに甘味と辛味と苦味が混ざりあい複雑な味が出るのだという。

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『Spice Journal』03号誌面


食材を揃えて、馴染みのないスパイスたちに悪戦苦闘しながら約1時間半、レシピ通りに作ってみると、おおっ! 本格インド料理屋でいただくカレーの味みたいじゃないか! 美味しかったですよ、カワムラさん!

 *

今回のブログの主役は、このミニコミ誌『Spice Journal』の編集長・カワムラケンジさん。キャッチコピーは「スパイスが紡ぐ味と人」で、レシピ、インド旅行記、スパイスの科学的分析などで構成される「日本初?」のスパイス専門誌だ。

昭和40年に大阪の藤井寺市で生まれたカワムラさんは、高校を卒業後バイクレーサーを目指していたが怪我で挫折、レースで嵩んだ借金を返すため小さな喫茶店で働き始めたことが、料理の道へ進むきっかけだった。

 「ワインやスペイン料理を出している小洒落た喫茶店で、エレガントなお嬢さんばか
 り勤めているんですよ。僕はブルーワーカーな雰囲気なので居心地悪かったんですけ
 ど、厨房で料理を作っていると彼女たちが『料理できる男ってカッコいい』と言うわ
 けですよ。『何がカッコええねん! ふざけたこと言うなよ』と照れ隠ししながら、
 料理できると女の子にモテるんやと、そこが始まりですね」


喫茶店の支配人がいい人で、料理学校に通わせてくれた。同時に、中華料理店で給料なし、住み込みの丁稚奉公も始めた。朝10時から喫茶店で働き、夕方から料理学校で学び、深夜3時まで中華料理店で働くという生活。

 「中華は絵に書いたような裏道の大衆食堂で、お客さんは長距離トラックの運転手や
 そのスジの人たちなど荒くれ者ばかり。寝る間もなく働きましたけど、20代は元気な
 んで。綺麗なお姉ちゃんにモテたい、うまい料理作ったらやらしてもらえるんや! 
 という勢いで、もう犬のようにまっすぐ行きましたね」


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男子のモチベーションはやがて、プロ意識に変わっていく。様々な料理を多角的に勉強していくなかで、特に興味をもったのが「カレー」だった。

 「カレーほどポピュラーなのに得体の知れないものはない、そう思ったんです」


しかし、カレーを研究しようとしても、当時は本格的なカレーの専門書は少なく、いろんな店を訪ねても、カレーの材料といえば「カレー粉」や「ルー」と言われるばかり。しかし、大阪でもっとも古いインド料理屋「アショカ」を訪れたときに、「ターメリック」や「コリアンダー」などカレーを構成するスパイスの名前を初めて聞いた。やがてエスニック雑貨店などでスパイスは容易に入手できるようになり、カレーの謎を解明する旅が始まり悪戦苦闘しながら腕を磨いていった。

 「それでも、カレー=旨みやコクといった固定観念があったんですが、それを壊して
 くれたのは、この頃から始めたライター仕事を通して出会ったインド人たちです。同
 じインド人といっても、宗教やカーストの違いによって料理もさまざま。この小さな
 島国で、カオスのように混在している彼らとの出会いが、カレーに対する固定観念を
 壊してくれたんです」


そのカオスの根底にあるのはスパイスだと気づいた。スパイスは日本、中華、西洋、あらゆる料理に用いられ、そして自由だ。「こう調理しないといけない」という規則はない。

 「同じインド人でも、ひとりひとりスパイスの使い方、料理への考え方が違います。
 そこから見えてくる人間模様が刺激的で面白くて。スパイスは料理と人間をつなぐも
 ので、世界中の料理の最大公約数なんだと思って、『スパイスが紡ぐ味と人』という
 メッセージを発信しているんです」

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神保町の「マンダラ」のカレーに舌鼓を打つカワムラさん


いま、スパイス研究家として様々なカレーショップに「カワムラブレンド」のスパイスを提供するほどになったカワムラさんだが、彼の探究心のバックボーンにあるものは、幼少期、大阪の町で培った「突撃、隣の晩ご飯」体験である。

カワムラさんの母親は料理にこだわりのある人で、マナーにも厳しかった。食事中は食卓しか見てはダメで、テレビを見ながらなどもってのほか。食卓には、ご飯、天ぷら、野菜の煮付け、お吸い物などがいつも綺麗に整理されて並んでいた。

 「うちにはソースとかマヨネーズがなかったんです。母親が、そんなものつけるのは
 おかしいと。でも、友だちの家で夕飯をご馳走になると、バリバリに潰れたような
 キャベツに、マヨネーズがベトベトにかかっている。うちのキャベツは、針金のよ
 うに細く千切りになっていて醤油しかつけてはいけないのに。キャベツの食べ方ひ
 とつとっても、この違いは何なんやろ? と思いまして。友だちの家では、魚でも
 豚でもなんでもフライにしてトンカツソースでベトベトにして食べている。お父さ
 んは肉体労働者で、帰ってくると腹巻から新聞とか競馬のメモとかいろんなもんが
 出てくるんですよ。で、テレビで阪神の試合をみてる。食卓のすぐ横にはパンツと
 か靴下とかが干してあってね。そんな中、みんなでフライを食う。うちではありえ
 ない食卓の光景でカルチャーショックでしたね、この家はワイルドやな〜って」


その違いが面白くて、他の家での食べ歩きが趣味になった。「カワムラさんちのケンちゃん」は近所で有名になった。「いつでも食べにきてええのよ〜」と声をかけられるままに遠慮せず毎晩誰かの家でご馳走になっていたが、やがて訪れると居留守を使う家も出てきて、泣きながら大人たちに抱えられて自宅に連れ戻されたこともあった。

料理からその家の文化が見える。その違いが面白い。だから、インドカレーひとつとっても、「こうでなきゃいけない」なんてことはないのだ。最近、仲のいいインド人にインド料理を教えているという。

 「これ入れたら旨くなるよって、カレーリーフをあげたら、『ありがと〜』って喜
 んでブチブチちぎって鍋に入れてるんですけど、使い方まちがっているんですよ。
 でもそれでいいんです、家庭料理は。料理でもてなそうとする気持ちが一番大事で、
 それを美味しくいただく気持ちが大事。そこには理屈じゃなく、フィジカリティが
 99%あるわけです」


カワムラさんの熱意と感性が凝縮された『Spice Journal』。年間購読者には、カレーキットも付いてくるので、ご興味ある人は是非手にとってみてほしい。


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『Spice Journal』04号発売中! 詳しくは下記URLへ
http://www.osaka-spice.net/

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2010年12月09日

登山家・栗城史多さん×プロフリーダイバー・篠宮龍三さん 山と海のトップランナー対談

「水深115m、8000mの高峰、その領域は言葉を超えている」


12月6日発売の『週刊プレイボーイ』51号で、登山家の栗城史多(くりき・のぶかず)さん(28歳)と、プロフリーダイバーの篠宮龍三さん(34歳)に対談していただいた。顔立ちも生き方もどことなく似ていると周囲から言われていたというふたりは意気投合。約100分の対談のなかで、『週プレ』の誌面に収まりきらなかった話をここに公開!


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意気投合する篠宮さん(左)と栗城さん(右)。東京・代々木公園内のWIRED CAFE FITにて。
撮影/山本尚明


まずはふたりの略歴を紹介しよう。

栗城史多さんは22歳のときに北米最高峰のマッキンリーを単独登頂して以来、これまで7大陸の最高峰のうち6大陸を登っている。今年2010年9月には、世界最高峰エベレスト(8848m)の単独・無酸素登頂に挑んだが悪天候と体調不良のため断念し、今は再度の挑戦を狙っている。これは実現すれば日本人初の快挙になるが、彼はそれだけに留まらず、「冒険の共有」という前代未聞の試みに挑戦しているのだ。ビデオカメラで自らを撮影しながら登りインターネットで動画を生中継して、エベレストと日本をつなぐという途方もない挑戦である。

一方の篠宮龍三さんは、空気タンクを使わずにフィンと少しのウエイトだけを付けて自らの力で海深く潜る「コンスタントウエイト」という種目で、現在115m(世界歴代5位)という記録を持っている。大学時代に映画『グラン・ブルー』を観てフリーダイビングに目覚め、会社員生活を経て世界一を目指すため2004年にプロに転向。当時もいまも、プロとして活動しているのは彼だけである。

ふたりとも、金もコネもないところから自分の足で歩きはじめ、スポンサーや協力してくれる仲間を集め、夢への道を切り拓いているトップランナーだ。


  *

最後は人のいるところに
帰ってこないといけない



篠宮 栗城さんのチャレンジは、見ているとすごく応援したくなっちゃうんですよね。
   フリーダイビングもそうだけど、山もひとりで行って帰ってくるという孤独な世
   界じゃない? 競技をやっていると、なんでもひとりでやらなきゃっていう気持
   ちが強くなってくるんです。ひとりでトレーニングして、ひとりでスキルアップ
   して、ひとりでお金を集めてというふうにどんどん孤独になっていくものなんで
   すけど。でも、栗城さんの、素直に自分をさらけ出して多くの人と夢を共有する
   チャレンジを見ていて、これからは自分ももっとチームとして動いていく方向に
   シフトチェンジしていきたいなと思いましたね。

栗城 僕も最初は、いまのようにチームで動くのではなく、山を100%感じたいと思っ
   てずっとひとりだけで登っていたんです。でも、ひとりで登ると大きな達成感は
   得られるんだけど、だんだん限界を感じてきたんですね。山を登って、次に向か
   うのはまた山だった…みたいな。これじゃあ、どんどんエスカレートしていって
   最後は死んじゃうんじゃないかというところが見えたんです。それではダメだ、
   山での経験をいかに地上でいかして生きていくかが大事なんだと思って。その頃
   から、動画配信の企画とかが始まったんですね。

篠宮 自分にはもう海しかない、山しかないとなったらとても危険なんですよね。それ
   では何も残せない。海や山で経験したことはけっして異常な体験ではなく、普遍
   的なメッセージとして一般社会で語れると思うんです。だから、最後は人のいる
   ところに帰ってくるということがなにより大切ですよね。僕もひとりで潜ってい
   くわけですけど、いちばん嬉しい瞬間って、一番下に到達したときよりも、水面
   に戻ってきてサポートしてくれる仲間たちが迎えてくれるときなんです。本当に
   「ありがと〜!」って気持ちになる。

栗城 中継のための仲間がベースキャンプにいるわけですけど、ひとりだけで活動して
   いたときには感じられなかったことがいまでは感じられます。篠宮さんは、いま
   の記録は115mですよね。次の目標は?

篠宮 いまの世界記録が124mなので、125m以上のところですね。僕の最終的な目標
   は131mです。この記録は、ウンベルト・ペリザリという僕の師匠のイタリア人
   が、機械を使って潜る種目で最後に出した記録なんですけど、僕はフィンをつけ
   て自分の力で泳いで行く「コンスタントウエイト」という種目でこれにチャレン
   ジしたいですね。

栗城 無酸素で…すごい領域ですね。

篠宮 かなり生死を意識する領域で、究極のチャレンジになりますね。でも、困難な目
   標をたてて、それをいかにしてクリアするか考えるのが面白いんですよ。栗城さ
   んも本(『NO LIMIT自分を超える方法』)に書いてますよね。「成功する確率。
   それがなんの役にたちますか?」って。

栗城 やっぱ、それがロマンですよね(笑)。
   もうエベレストにはたくさんの人が登っていますが、僕は人が見たことのないも
   のを伝えたいと思って、動画配信とか、ほかにも講演会やTVドキュメンタリー
   もやっているんですけど。でも、本当のことを言えば、8000mの世界を100%
   人に伝えることはできないんですよね。篠宮さんの115mの世界も、みんなはわ
   からないじゃないですか? ただ、以前は伝わらないことにもどかしさを感じてい
   たけど、今は全部が伝わらなくてもいいかなって思うんですよ。自分だけ知って
   いる部分があるのもロマンチックだなって(笑)。

篠宮 自分だけが知っている喜びというか蜜の味というかね(笑)。
   どんなに想像力を働かせても経験していないとわからない世界は残りますよね。

栗城 以前、ネパールのポカラという街で、ラインホルト・メスナーさんというイタリ
   ア人の登山家に偶然会ったんですよ。彼は世界で初めてエベレストの単独・無酸
   素をやり遂げた人なんです。スタッフが僕のことを説明してくれて、彼も僕に興
   味を持ってくれていたので、エベレストのことを聞いてみたいな〜と思ったんで
   すけど、聞かなかったんですよ。メスナーさんも言わなかった。それってすごい
   美しいというか(笑)、言葉で聞いてしまうと簡単にヒントをもらってしまうし、
   やっぱり自分で答えを見つけるものなんだと思うんですよ。だからそのときは全
   然関係ない話をして、また会おうねって別れたんです。


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撮影/山本尚明


篠宮 フリーダイビングも、110とか120を超えた選手は、その世界をあまり言葉で話
   さないですよ。僕がいちばん仲良くしているフランスのギョーム・ネリーという
   選手がいて、彼と僕は同じ日に115mという自己最高記録を出したんですけど、
   115mがどれだけすごかったとか言葉では話しませんでしたね。終わってオツカ
   レ!って握手をした瞬間に、ビビッと伝わるんです。握手とハグで、もうすべて
   伝わるんですよ。エベレストのピークをとることも、もう言葉を超えている領域
   だと思います。だから、非常におこがましい言い方ですけど、栗城さんはエベレ
   ストを登頂した後に、メスナーさんにまた会うと思うんですよ。それで、握手を
   した瞬間にすべて伝わると思いますね。話は変わりますけど、僕らが生まれた
   70年代や80年代に、メスナーさんとかジャック・マイヨールが山や海で偉業を
   成し遂げて、多くの日本人は度肝を抜かれたと思うんですよね。でも今、その世
   界に僕ら日本人が追いついてきたというのは、やったぜ! と思うんです。  

栗城 アッハッハ(笑)。そうですね!

篠宮 多くの日本人は常識から外れることを恐れるし、リスクをとらないじゃないです
   か。でも、憧れは外国人にばかり持つものじゃなく、日本人もやってみればでき
   ることもあるし、好きなことをやっても生きていけるんですよね。

栗城 ネパールなどの山岳地帯に行くと、貧しい地域も多いんですよ。日本みたいに
   ちょっと歩けばコンビニがあって、100円出せばオニギリが買えるような国はな
   かなかない。いまは就職難とか不景気と言われているけれど、お金はなくても携
   帯電話は持っていたりとか、すごく恵まれていると思うんです。だからいろんな
   ことにチャレンジできる。インターネットを通して自分しか持っていない感性や
   価値観を、それを必要としている人に伝えたり。本当は今の時代、若い人はもっ
   とやりたいことができると思うんですよ。


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撮影/山本尚明

  *

結果に執着しないということ

篠宮 エベレスト登頂に失敗したときにはすごく悔しいんだろうけど、栗城さんは失敗
   をトータルで考えられているように見えます。栗城さんはいま28歳ですよね? 
   僕が28歳のときは、プロになって間もないときで大スランプだったんですよ。
   エゴのかたまりだった。プロになったんだから結果を出さなきゃとか、誰よりも
   練習しているんだからうまくいくはずだとか、執着すればするほど失敗を繰り返
   してスランプに陥っていったんですね。でも、栗城さんはまだ若いのに、結果に
   執着せずに、失敗しても飄々とまた行ってきます!みたいな雰囲気がすごいと思
   いますね。

栗城 当然失敗して帰ってくると山岳の先輩やいろんな人にいろんなことを言われるん
   ですけど、要は失敗やスランプをどうとらえるかが大事なんだなと思います。
   そういうものがあるから次が光り輝くと思うし。いま、僕はまだもう一歩の踏ん
   張りが必要なところにいるんだと思います。もう一歩超えたところにチェンジし
   ていかないといけない時期なのかなって。ところで、フリーダイビングの場合は、
   インターネットで中継するっていうのは難しいんですかね?

篠宮 カメラがちゃんとセットアップされていればできます。ヨーロッパでは生中継で
   飛ばしてTVで見せたりもするし。でも、世界記録を生中継っていうのはまだやっ
   ていないから、これをやったら面白いですね。

栗城 是非観てみたいですね。

篠宮 でも、ブラックアウト(失神)する可能性もあるので、それを全世界の人に見て
   もらう覚悟はあるのかと(笑)。
   でも、リアルタイム感というのは、これからの時代のポイントのひとつになって
   くると思うし、今やってるぞという感覚を共有できるのは面白いですよね。

栗城 ものすごくお金かかりますけどね(笑)。
   僕は3年前から動画配信を始めたんですけど、当時はUストリームもまだなくて、
   いろんな企業に企画を持ち込んだけど最初は誰も相手にしてくれなくて、借金し
   てむりくりやってました。極地用の中継のシステムをゼロから作ったり、米軍用
   の機材を使ったりとか。今年はエベレストからの生中継に成功したんです。
   でも、技術が進歩していくうちにアイフォンひとつで中継やる人が絶対出てくる
   と思うんですよ。エベレストの頂上とかから。

篠宮 エベレストなう、ですね。

栗城 それをやられたら正直、悔しいですね(笑)。


   ☆ 


(プロフィール)
栗城史多
1982年生まれ。北海道出身。04年、北米最高峰のマッキンリーを単独登頂し、登山家になる。07年、ヒマヤラのチョ・オユーを単独・無酸素登頂し、動画配信を始める。09年のダウラギリではインターネット生中継に成功。著書に『一歩を越える勇気』(サンマーク出版)、『NO LIMIT(ノーリミット)自分を超える方法』(サンクチュアリ出版)がある。
栗城史多オフィシャルサイト

篠宮龍三
1976年生まれ。埼玉県出身。大学時代にフリーダイビングに出会い会社員を経て04年にプロ転向。08年、バハマにてアジア人初となる水深100mを達成。09年、ジャック・マイヨールを超える107m、2010年4月に115mに到達。同年6月には自身がオーガナイザーとなり沖縄で世界大会を開催した。著書に『ブルー・ゾーン』(牧野出版)がある。
篠宮龍三オフィシャルサイト


NO LIMIT ノーリミット 自分を超える方法 [単行本(ソフトカバー)] / 栗城史多 (著); サンクチュアリ出版 (刊)
NO LIMIT ノーリミット 自分を超える方法 [単行本(ソフトカバー)] / 栗城史多 (...

ブルー・ゾーン [単行本] / 篠宮 龍三 (著); オープンエンド (刊)
ブルー・ゾーン [単行本] / 篠宮 龍三 (著); オープンエンド (刊)

・撮影/山本尚明
・取材協力/WIRED CAFE〈〉FIT(URL◆http://www.wiredfit.jp/



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2010年10月28日

世界の最貧困地帯を描く ノンフィクション作家・石井光太さん

「物乞いを可哀想だと思うよりも、美しさを感じる」

アジアの障害者や物乞いたちを描いた『物乞う仏陀』や、イスラム諸国の隠された性を浮き彫りにした『神の棄てた裸体』などの著者である石井光太さんとはじめて会ったのは、2008年春のこと。
当時僕が関わっていた『月刊PLAYBOY』でスタートする新連載の打合せのためだった。

インドネシアの少女売春を取材するために売春宿の主に頭を下げて住み込みで働いたほどの人だから、無骨なジャーナリストを想像していたが、実物の石井さんは正反対だった。
やや甲高い声でよくしゃべり、冗談を言っては笑う物腰柔らかな人。
薄暗い居酒屋の照明にスキンヘッドが照らされて後光が射しているように見え、当時は今より少しふくよかだったから、大黒様みたいだなと思ったのが初対面の印象だった。

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ムンバイのチャトラ・パティ・シヴァージー駅の前で物乞いをする障害をもった子ども



『月刊PLAYBOY』の連載のテーマは、「レンタルチャイルド」だった。
インドのムンバイでは、マフィアがどこからか子どもをさらってきては、彼らを女性の物乞いに貸し出す。彼女たちが赤子や幼い子どもを抱いていれば、より多くの同情を誘い多額の喜捨を得られるからだ。しかし、子どもたちが成長してレンタルチャイルドとしての商品価値を失うと、マフィアは彼らの目を潰したり手足を切断したりして、障害者の物乞いに仕立て上げる。
そんな危険なマフィアの巣窟に、石井さんは入っていき取材をしたのだった。

レンタルチャイルドの後、石井さんはアフリカの少年兵、日本国内のHIV患者の性生活などを取材している。
物書きを生業としているのだから、誰も扱ったことのないテーマに挑むのは真っ当だけれど、これほどまでにハードな題材ばかりを描くのはなぜなのか? 

「単純に、面白いからです。小さな理由をあげていったらキリがないし、分かり
 やすく言っても嘘になります。
 僕は、東京・世田谷区の一等地に生まれ、恵まれた環境で何不自由なく育った。
 五体満足だし、虐待された経験もないので、取材テーマに対する分かりやすい
 動機は一切ないです」


何度も同じ質問をされているのだろう、彼は飄々と答えた。
テーマに対して使命感のようなものを抱いて書いているわけではない。誤解を恐れず言えば、石井さんの作品からはある意味、覗き見趣味的な印象を僕は受ける。そう告げると、彼は何度かうなずいた後に、「ある種の、フリークス好きみたいなところが僕にはある」と言った。

英語のfreakには、奇人、変人、奇形、中毒者などの意味がある。いわば「正常であること」から外れた、あるいは外れざるを得なかった人たちのこと。

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路上生活者が亡くなると、遺族はその死体をつかって喜捨を求める。
普通に物乞いをするより何倍も儲かるという。バングラデシュのダッカにて


 「物乞いや障害者を可哀想だと思うよりも、美しさを感じるんです。接している
 うちに、彼らが見せる意地とか、強さや弱さ、人間くさい本当の感情を表す一瞬
 が美しい。たとえば、貧困地域で、お金はいらないからセックスがしたいという
 売春婦がいました。それは僕らにだって共通するんです。寂しくてたまらないと
 きは、誰かと一緒にいたい、抱かれていたいという気持ち。
 彼らの行動を異常であると思うのではなく、突き詰めて考えていった先には自分
 自身がいる。そのことを発見した瞬間に、美しく感じるんです」



フリークスを見ると安心する、と石井さんは言う。先進国に住む我々が「正常」で、彼らは「異常」なのか。アジアやアフリカの貧困地帯を歩いてきた石井さんの目には、欺瞞に満ちたこちらの世界こそ胡散臭い異常なものに映るのだろうか。

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石井さんは本や雑誌の企画を考えるとき、独特の発想をする。

 「僕は、目の前のものを全部疑ってみるんです。
 たとえば、インドの物乞いを見て、普通の人は可哀想だと思うだろうけど、僕は、
 本当はけっこう稼いでいるんじゃないか? と疑うんです。それがものを考える
 スタートになる」


目の前にあるAというものを、そのままAとして認識するのではなく、それは本当はBなのではないか、と疑う。そうすると、あらゆるものが書くテーマになっていく。なるほど、これなら無限にテーマが浮かんでくる。

 「極端に言えば、たとえば男がふたりで歩いていれば彼らはゲイだと、僕は言い
 切ってしまうんです。実際はそうではないことがほとんどでしょうけど(笑)。
 そうやって仮説を立てて、空想して、調べていく。そういうやり方ですね。
 僕は真面目な人間じゃないんです。何かを背負って書いているわけじゃなく、
 単純に面白いものを宝探ししている。道を歩いていたら穴があいている。宝が
 埋まっているんじゃないかと深く掘り下げる。宝がなければ他の穴を探す、と
 いう感じです」


重いテーマを扱いながら、大義名分を振りかざすことなく、こんなふうに「面白いから」と言い切ってしまうところが、石井さんの正直で面白いところだ。

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ところで、これまで取材で出会った人間でいちばん強烈な印象を受けたのは誰かときくと、ムンバイの寺院で物乞いをしていた全身イボだらけの男をあげた。その男は何の病気か、本当に全身が大小のイボで覆われているのだ。

 「彼を見たときは『ウワーッ!!!』でしたね。
 写真を撮るべきか撮らないべきか逡巡したけど、次の瞬間にはシャッターを押し
 ていました。あそこで撮らないという選択肢をとったら、僕はこの仕事をする資
 格がないと思うんですよ」

ものを書く人間として世界の現実を提示することによって、読者が何かを考えるきっかけになればいい、というのが石井さんのスタンスだ。
しかし、貧困と空腹に喘ぐ人たちを描くことで、石井さんは飯を食べているということも事実だ。このことに眉をひそめる人もいる。たとえ、本が日本でベストセラーになったとしても、それによって直接、彼らが救われるとは考えがたい。

以前、石井さんはこう漏らしたことがある。
「悲惨な現実を目の当たりにして、でも自分にはどうすることもできないっていうのは、つらいですよ」と。それは偽らざる本心だろう。
仕事だからと割り切って考えられる部分と、そうではない部分の違いは何なのか。
今度会ったときにはそれをじっくりきいてみたいと思う。


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本最新刊『地を這う祈り』徳間書店
世界の貧困地域を歩いた集大成であるフォトエッセイ集。全身イボに覆われた男の写真も掲載されている


●石井光太 
1977年、東京都生まれ。日本大学芸術学部卒業。国内外の文化、歴史、医療などをテーマに執筆。そのほか、TVドキュメンタリ、漫画の原作、写真発表なども手がけている。著書に『物乞う仏陀』(文春文庫)、『神の棄てた裸体』(新潮文庫)、『絶対貧困』(光文社)、『レンタルチャイルド』(新潮社)などがある。

石井光太公式サイト


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