2011年08月24日

探検家・関野吉晴さんに聞く、 『新グレートジャーニー』と アマゾンでの日々

6月にハワイに行った。太平洋の真ん中に浮かぶハワイ諸島は、最も近い大陸から約3000kmも離れている。こんなところにどうやって人類は海を渡ってやってきたのか? そのルーツは台湾で、フィリピン、インドネシアに南下した後、進路を東に変えフィジーやサモア、タヒチへと広がり、マルケサス諸島からハワイへ北上したと言われている。

というわけで、私は最近、太平洋の歴史や文化に興味津々なのだが、そんな折、探検家の関野吉晴さんが、インドネシアから石垣島までの約4,400kmを、手作りのカヌーで航海したというニュースを知った。しかも、コンパスなどの近代装備を一切使わず、星を見て方角を見極めるなどして石垣島まで辿り着いたのだという。

すごい! まるで古代のポリネシア人ではないか! 是非お話を聞きたいと思い、『週刊プレイボーイ』の連載「シゴトのこと」でインタビューさせていただいた。本誌に収まりきらなかった話もあるので、このブログでも紹介します。


関野さんといえば、テレビのドキュメンタリーでお馴染みの『グレートジャーニー』。人類が地球中に拡散していった足跡を遡るこの旅は、1993年に南米最南端のナバリーノ島を出発し、徒歩、自転車、カヤックで足掛け10年かけて、2002年にアフリカのタンザニアに辿り着いた。

そして、今年6月に終えたばかりの航海は、2004年にスタートした『新グレートジャーニー』のハイライトだった。『新グレートジャーニー』は日本列島に人類がやってきた道を辿るもので、3つのルートを旅した。ひとつはシベリアから稚内に至る北方ルート、もうひとつはヒマラヤから対馬までの南方ルート、そして最後がこの海洋ルートだった。

手作りしたのは、カヌーだけではなかった。なんと、造船に使う工具から作ったのだという。

 「まず、工具の材料となる砂鉄を、九十九里浜で120kg集めました。これを、日本古来
 の“たたら製鉄”で鉄にするのですが、炭を用意しないといけない。東京は杉や檜がたく
 さんありますが、これらは火力が弱いということで、岩手県に行って松を2t伐採して、
 200kgの炭を作りました。その結果、出来上がったのが、合計5kgの工具です」


カヌー.jpg
すべて自然の素材から造ったカヌー「縄文号」。撮影:倉持壮
関野さんが教鞭をとる武蔵野美術大学にて展示されている(詳しくはページ下部)


工具.jpg
斧や鉈などの工具も、日本古来の“たたら製鉄”で一から作った 撮影:倉持壮


そして、出発地点のインドネシア・スラウェシ島に工具を持ち込み、カヌーに最適な素材の巨木を数ヶ月かけて探し出した。チェーンソーもドリルも釘も使わない造船方法には、現地の舟大工たちも驚いた。手間隙かけたというレベルではないこだわりである。「自分でも思いますけど、すごいムダなことをやってますよね」と関野さんは笑う。

 「いつもギリギリの旅をしてきたけれど、今回の航海はホントに失敗するかもしれない
 と思いました。だって、この巨木はもともと腐っていたんですよ。何度も修繕しながら、
 悪天候で出航できないときもあったりして、当初の予定より2年遅れて石垣島にゴール
 したんです。トラブルはめちゃくちゃあるんだけど、結局成功したのは、あきらめなかっ
 たからだと思いましたね」


飄々とすごいことを語る人である。実は大変な苦難の連続だったにちがいないし、「あきらめなかったから成功した」という事実と、その粘り強さにはまったく脱帽する。


関野さん01.jpg
撮影:倉持壮



関野さんは、昭和24年、東京・墨田区に生まれた。父親は小学校の教師、母親は自宅で和裁を教え、暮らし向きはけっして裕福ではなかった。5人兄弟の末っ子で、小中学校は野球少年、高校は柔道部とラグビー部で汗を流した。

 「戦後の貧しい時代で、子供を育てるだけで大変なことですから、子供たちには細く長
 く堅実に生きてほしいと親は思っていたようです。だから、ひとりで山に行くとか、危
 ないことは許してくれなかった。窮屈な家から早く離れたいと思っていたんです」


親戚に、海上保安庁に所属し世界中を航海している人や、捕鯨船に乗っている人がいて、海外に憧れるようになった。高校に入ると、小田実の『何でも見てやろう』や本多勝一の『極限の民族』を読んで、思いはさらに膨らんでいった。

 「高校までは親の言うことをきいていたけど、大学に入ったら海外雄飛。勘当されても
 好きなことをやろうと決めていました」


入学した一ツ橋大学(法学部)には探検部がなかったので、自ら創設した。先輩がいないので、早稲田や慶応の探検部に出入りし技術を学んだ。そして1971年、「アマゾン全流踏査隊」を結成し、アマゾンに渡った。なんと、それが初めての海外だったという。

 「日本国内はトレーニングするところで、探検のフィールドとは思わなかった。誰も
 行ったことのない海外の秘境が目標でしたから。それまで僕は一生かけてやりたいこ
 とが見つかっていなかったんですが、自然も文化もまったく異なる土地にいけば、違
 う自分が見えてくるかもしれないと思ったんですね」


アマゾンを旅しながら、先住民の村を訪れては長期滞在していた。そこでは、日本とはまったく違う時間が流れていた。

 「最初は彼らに腹がたったんですよ。時間を守らないし、いい加減だし。たとえば、
 狩りに僕もついていくんですが、朝から森に入って、夕方戻ってくる頃にはお腹ぺこ
 ぺこなんです。村に残っている人が、鍋でお湯を沸かすとかして待っていればいいの
 に、僕らが帰ってきてからようやく薪を拾いに行って火をおこす。それから獲物をさ
 ばきはじめるから、食事が出来上がるまでに2時間近くかかる。なんて非効率なんだ!
 って(笑)
 でも、調理している時間は、彼らにとっては貴重な団欒の時間で。森や川、畑の様子
 を情報交換したり、子供たちがじゃれあったり、若者の会話を年寄りがゆっくり聞い
 ていたり。ああ、こういうのもいいなと思って。それで、翌年帰国したら、何もやる
 気がなくなったんです」


ゆったりと時間が流れていくアマゾンの日々に比べると、日本の生活はまるで高速道路のようだった。5年先、10年先のことまで計画し、スピードと効率が重視され、競争ばかりしている社会。こちらの暮らしこそ異常なものに見えて、いっそのことアマゾンの先住民になってしまいたかった。

その後も関野さんは、南米を何度も訪れた。ジャーナリストや研究者になる選択肢もあったが、先住民を調査の対象にはしたくなかった。彼らと友達でいたかったのだ。では、どうすれば友達でいられるか?

 「だいたい僕が行くのは、郵便局も電話もないところだから、いきなり飛び込んで行く
 しかない。『すいません、泊めてください。食べさせてください。なんでもしますから』
 って。でも、森に行けばかえって彼らの足手まといになる。彼らの役にたつことって何
 だろうと考えて、医師になることを思いついたんです」


一ツ橋大学を卒業後、横浜市立大学の医学部に入学。医師になってからも、3年勤めたら3年旅に出るというペースで、南米通いは続いた。


関野さん02.jpg 撮影:倉持壮


関野さんが出合った先住民のなかで最も強い印象を受けたのは、ヤノマミという、ベネズエラとブラジルの熱帯雨林に住む人たちだ。アメリカの文化人類学者ナポレオン・シャグノンは、ヤノマミを調査し『獰猛な人々』という本を書いている。

 「最初はすごく恐怖感がありましたけど、実際に行ったら、とても人懐っこい人たち
 だったんです。彼らは獰猛というより、率直な人たち。心に思っていることを全部外
 に出すんです。たとえば、僕がパンツを3枚持っていたら、『なんで3枚持ってんだ? 
 俺は1枚もないんだぞ、見てみろ、ほら』と(笑)。『だから1枚くれ』と言うわけ
 です。食事は彼らと同じものを食べていましたが、米だけは持っていった。ひとりで
 炊いて食べようとすると、みんな一斉に『米くれ、米くれ!』と叫ぶんですよ」


懐かしい旧友との思い出話といった感じで、関野さんは話す。

 「僕が持参したハンモックを広げると、彼らは土足で入ってくるんです。いい年した
 オジサンも遠慮なく入ってきて、鼻水をハンモックで拭いたりしている。彼らは紅ガ
 ラで体を化粧しているから、あっという間に白いハンモックが赤黒くなりましたね。 
 年頃の女の子も入ってくるんですけど、素っ裸ですよ。非常に手のやり場に困った。
 しかも、男たちはこちらを見ている。嫉妬されたりしたら怖いわけですよ。ヘタなこ
 としたら弓矢でも飛んでくるんじゃないかと(笑)。あるとき、突然、女の子が僕の
 パンツのなかに手を突っ込んできたと思ったら、『キャッ』と叫んで飛び出していっ
 たんです。どういうことかと見ていたら、『あの人、毛が生えてる!』と周りの大人
 たちに言っている。どうやら、僕は童顔だったので子供だと思われていたらしい。
 逆に安心しましたけど(笑)」


「アマゾンの先住民から学んだことは何ですか?」と聞くと、「自然とどう付き合っていくかのヒント」と答えた。

 「南米の熱帯雨林に関しては、彼らは誰よりも優れた博物学者なんです。動植物をど
 う扱ったらいいか、何千年も前から知識の蓄積がある。一方で、我々は自然をどうし
 たらいいかわからなくなっている。都会に住んでいると、自然なんかなくたって生き
 ていけるんじゃないかと思っちゃう。じゃあ、地上の植物を全部とっぱらって、便利
 で快適な空間だけ残したらどうなるか。たぶん、ほとんどの人間は死んでしまいます。
 では逆に、便利な空間を全部なくして、自然だけ残したらどうなるか。ツライですけ
 ど、なんとか生きていけますよ」


行き詰まった文明が生き残っていくヒントが、先住民の知恵にあるのかもしれない。だからこそ今回の航海では、アマゾンの先住民のように、自然から素材をとってきて生きることをコンセプトに、カヌーの道具作りから始めたのだ。

 「たった5kgの工具を作るために2tの森林伐採をした。ということは、これまで人
 類が鉄を作るためにどれだけ森林を伐採してきたかということがわかるわけです」


さらに調べていくと、鉄が発見されたときは金の4倍の価値があったこと、地球の重量の3分の1は鉄だということなどを関野さんは知った。

旅は社会のためではなく自分のためであり、その最大の目的は、何かに気づくことだと関野さんは言う。

次の旅の予定は白紙だというが、還暦を過ぎてもまだまだエネルギー溢れる関野さん。これからも、途方もない旅を続けて、私たちにロマンを感じさせてほしい。


☆関野吉晴公式サイト


『海のグレートジャーニー展』
武蔵野美術大学にて開催中!!


カヌーや工具などのほか、航海中の写真など多数展示(概要)
会 期:2011年7月11日(月)〜9月30日(金)
休館日:日曜日・祝日、8月28日〜9月4日
時 間:7月25日(月)〜8月26日(金)の平日:9:00〜19:00、9月5日(月)〜9月30日(金)の平日:9:00〜20:00、土曜日:9:00〜17:00
会 場:武蔵野美術大学図書館
入館料:無料
主催/関野吉晴研究室
*外部の方は図書館入口で「海のグレートジャーニー展」を見に来たと伝えると入場できます。

図書館の開館スケジュール・開館時間は以下をご確認下さい。
http://mauml.musabi.ac.jp/library/

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2011年04月01日

ブログ再開にあたって


東日本大震災で被災された方々に、心よりお見舞い申し上げます。

毎日、怒涛のように耳目に入ってくる被災地の報道に、私たちはただ無力感を募らせるばかりです。募金や節電以外に自分にできることはないのかと。
しかし、こういうときこそ、これまで通りに自分たちが面白いと思う人物や事柄を紹介していくことが私たちの役割だと思い至りました。
今後とも、「一期一会の現場から」をよろしくお願い致します。


ゴメス タカハシ ふく子


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2011年03月05日

森の名人と高校生の交流を記録した長編ドキュメンタリー映画『森聞き』監督 柴田昌平さん 「まだ自分の未来を描ききれていない、若い人にも観て欲しい」

ドキュメンタリー映画『森聞き』(3月5日公開)は、高校生たちの真っ直ぐな思春期の感性に、思わず面映くなってしまう作品だ。オレも10代の頃は、毎晩のように「人生の意味ってなんだろう?」と考えていたなぁと。

映画の舞台は、宮崎、北海道、富山、奈良の山村。ここに住む「山の名人」の老人たちを、都市部に住む高校生たちが訪れ聞き書きをするというものだ。

宮崎県内有数の進学校に通う中山きくのさんは、60年以上伝統的な焼畑農法を続ける椎葉クニ子さんに、率直な質問をぶつける。

「焼畑は好きですか?」

おばあちゃんは怒りだして答える。

「焼畑が好きか嫌いか? そんな質問をするもんじゃない。生きるというのは好き嫌いじゃない。これがばあちゃんの生きる道だから」

たった1年でも焼畑をやめたら、縄文時代から受け継がれてきたソバの種が絶えてしまうのだという。その責任感で、85歳のクニ子さんはたいへんな作業を続けているのだ。
進学、就職……人生の岐路にたつ高校生たちは、森の名人たちの背中を見て、生きることの意味を考えていく。

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椎葉クニ子さんと中山きくのさん


『森聞き』は、山村の失われつつある伝統技法に主眼を置いているわけでもなければ、高校生たちの成長の結果を示しているわけでもない。『ウルルン滞在記』みたいに、登場人物の摩擦→理解→涙の別れといった劇的な演出もない。

普通に生活していれば交わることのなかった世代間の不器用な対話。そこから飛び出す老人の格言に、高校生たちは言葉に表現できない何かを確かに感じ取る。その瞬間をこの映画は見逃さない。

監督の柴田昌平さんに話を聞きに行った。
僕が「監督」と呼ぶと遮って、「監督はやめてください。柴田さんにしてくださいね」と人懐っこい笑顔を向ける。

 「中高年の視聴者を満足させるんだったら、名人たちの技の凄さを強調したほうがいい
 ですよね。でも悩んだ末に、若い人向けにしたいと思ったんです。まだ自分の未来を描
 ききれていない、そういう人にも観て欲しい。おじいちゃんたちの背中を見てくれれば
 いいかな。また、高校生たちの“こんな馬鹿な質問しちゃったな”とか、わからないこと、
 恥ずかしい部分、そういうところも残したいと思って」


おばあさんに、「焼畑は好きですか?」なんていう不躾な質問は大人だったらできないだろう。しかし、そんな高校生たちの純粋さが生々しく新鮮に感じられるのもこの映画の魅力だ。

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杉の大木に登り、種を採取する名人杉本充さん(76歳)


『森聞き』を若者向けに作ると決めた理由のひとつに、前作『ひめゆり』での経験があった。この世の地獄と化した沖縄戦を生き抜いた、ひめゆり学徒のおばあちゃんたちの証言を紡いだ映像記録である。

 「『ひめゆり』は、おばあちゃんたちが納得してくれたらいい、そう思って作ったんで
 すが、意外に若い人たちがたくさん見てくれた。あれだけ静かな、余計な情報もない余
 白の多い映画を、若い人たちが受け止めてくれたことが自信になったんです。今の若い
 人は頭いいから、結論を押し付けられるようなものは好きじゃない。みんな考える力や
 感性がありますよ。だから、『森聞き』も、行間を作ってそこに何かが残るようにした
 いと思った」


実は柴田さん自身、聞き書きの経験者なのだ。東京大学で文化人類学を専攻していたとき、山梨県の芦川村(現・笛吹市)にグループで調査実習に行った。2週間程度の実習だったが、帰ってくると誰もレポートをまとめようとしない。柴田さんは責任を感じる一方で、もっと山村のことが知りたいと思い、休学してふたたび芦川村を訪れた。80年代後半のことだ。

 「当時からもう若い人は多くなかったけど、まだ高原野菜の出荷も盛んで生き生きとし
 た農村でした。おばあちゃんと一緒に人参を収穫したり、ほうれん草を袋詰めしたりし
 てましたね。でも去年行ったときは、あのとき手伝った畑が手付かずの森になっていて、
 ずいぶん変わったな〜と」


卒業論文は、芦川村の大正生まれのおばあちゃんの一代記の聞き書きである。
「参考文献ゼロですけど、誰も調査実習のレポートまとめてないから文句言えない。評価はもちろんAですよ!」と言ってまた笑う。

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卒業後はNHKに就職、ディレクターとして沖縄放送局に赴任した。沖縄の人は英語をしゃべっているんではないかというほど現地のことを知らなかったのだが、自分の性格の弱さを知っていたので、あえて遠方を選択したのだという。

 「沖縄でよかったのは、視聴者の顔が見えること。上司も、沖縄の人たちのための放送
 を作れというスタンスでした」

3年半後に東京に戻ってきたが、そこからわずか半年でNHKをやめてしまった。

 「東京は全国放送じゃないですか。誰に向けて作ればいいのかわからなくなっちゃった
 んです。沖縄向けの提案は却下されて、NHKとしては僕を育てようとしてたんですけ
 ど……わからなくなっちゃって。ある日、青森に取材だったんですけど、羽田空港に向
 かう途中で行けなくなってしまってそのまま失踪したんです(笑)」


逃避行の目的地は沖縄。しかし、手持ちの現金はない。銀行で預金を引き出すと足がつく……と妙に冷静な判断をした柴田さんが向かった先は、山谷だった。そこには、故郷の村から脱走してきて身寄りのない人、かつて殺人を犯した人などスネに傷持つ者たちが大勢いた。彼らに混じってマンション建設現場で稼ぎ、航路で沖縄へ。そこで、沖縄放送局時代から親交のあった人物にかくまってもらったのだが、その人物とはなんと、あの名曲「ハイサイおじさん」で有名な喜納昌吉だった。

沖縄で過ごすうちにやがて心も落ち着き、東京に戻りNHKに辞表を出した。そして、「民族文化映像研究所」で映像記録の基礎を学んだ後、映像制作会社「プロダクション・エイシア」を設立、『新シルクロード』『世界里山紀行』などの名作を制作している。

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『森聞き』の試写会を見て、ある女性は涙を流しながら柴田さんに語ったという。

 「彼女は子育てとかいろんなことを背負っていて、やりたいことがあってもそこから脱
 せない、どうしようもない状況だったんだけど、焼畑のおばあちゃんの言葉を聞いて、
 先が見えないところに光を与えてくれたと言うんです」


高校生たちと同じ目線に立ってみれば、より一層名人たちの言葉の深さが、まるで詩が響き合うように感じられるはずだ。

柴田さんの優しい眼差しが注がれた『森聞き』、是非観てください!!!
 

●長編ドキュメンタリー映画『森聞き』
3月5日より、東京・ポレポレ東中野で公開、以降全国順次公開予定
5.jpg

★映画『森聞き』公式サイト




posted by 若手 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | ゴメス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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