2011年03月05日

森の名人と高校生の交流を記録した長編ドキュメンタリー映画『森聞き』監督 柴田昌平さん 「まだ自分の未来を描ききれていない、若い人にも観て欲しい」

ドキュメンタリー映画『森聞き』(3月5日公開)は、高校生たちの真っ直ぐな思春期の感性に、思わず面映くなってしまう作品だ。オレも10代の頃は、毎晩のように「人生の意味ってなんだろう?」と考えていたなぁと。

映画の舞台は、宮崎、北海道、富山、奈良の山村。ここに住む「山の名人」の老人たちを、都市部に住む高校生たちが訪れ聞き書きをするというものだ。

宮崎県内有数の進学校に通う中山きくのさんは、60年以上伝統的な焼畑農法を続ける椎葉クニ子さんに、率直な質問をぶつける。

「焼畑は好きですか?」

おばあちゃんは怒りだして答える。

「焼畑が好きか嫌いか? そんな質問をするもんじゃない。生きるというのは好き嫌いじゃない。これがばあちゃんの生きる道だから」

たった1年でも焼畑をやめたら、縄文時代から受け継がれてきたソバの種が絶えてしまうのだという。その責任感で、85歳のクニ子さんはたいへんな作業を続けているのだ。
進学、就職……人生の岐路にたつ高校生たちは、森の名人たちの背中を見て、生きることの意味を考えていく。

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椎葉クニ子さんと中山きくのさん


『森聞き』は、山村の失われつつある伝統技法に主眼を置いているわけでもなければ、高校生たちの成長の結果を示しているわけでもない。『ウルルン滞在記』みたいに、登場人物の摩擦→理解→涙の別れといった劇的な演出もない。

普通に生活していれば交わることのなかった世代間の不器用な対話。そこから飛び出す老人の格言に、高校生たちは言葉に表現できない何かを確かに感じ取る。その瞬間をこの映画は見逃さない。

監督の柴田昌平さんに話を聞きに行った。
僕が「監督」と呼ぶと遮って、「監督はやめてください。柴田さんにしてくださいね」と人懐っこい笑顔を向ける。

 「中高年の視聴者を満足させるんだったら、名人たちの技の凄さを強調したほうがいい
 ですよね。でも悩んだ末に、若い人向けにしたいと思ったんです。まだ自分の未来を描
 ききれていない、そういう人にも観て欲しい。おじいちゃんたちの背中を見てくれれば
 いいかな。また、高校生たちの“こんな馬鹿な質問しちゃったな”とか、わからないこと、
 恥ずかしい部分、そういうところも残したいと思って」


おばあさんに、「焼畑は好きですか?」なんていう不躾な質問は大人だったらできないだろう。しかし、そんな高校生たちの純粋さが生々しく新鮮に感じられるのもこの映画の魅力だ。

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杉の大木に登り、種を採取する名人杉本充さん(76歳)


『森聞き』を若者向けに作ると決めた理由のひとつに、前作『ひめゆり』での経験があった。この世の地獄と化した沖縄戦を生き抜いた、ひめゆり学徒のおばあちゃんたちの証言を紡いだ映像記録である。

 「『ひめゆり』は、おばあちゃんたちが納得してくれたらいい、そう思って作ったんで
 すが、意外に若い人たちがたくさん見てくれた。あれだけ静かな、余計な情報もない余
 白の多い映画を、若い人たちが受け止めてくれたことが自信になったんです。今の若い
 人は頭いいから、結論を押し付けられるようなものは好きじゃない。みんな考える力や
 感性がありますよ。だから、『森聞き』も、行間を作ってそこに何かが残るようにした
 いと思った」


実は柴田さん自身、聞き書きの経験者なのだ。東京大学で文化人類学を専攻していたとき、山梨県の芦川村(現・笛吹市)にグループで調査実習に行った。2週間程度の実習だったが、帰ってくると誰もレポートをまとめようとしない。柴田さんは責任を感じる一方で、もっと山村のことが知りたいと思い、休学してふたたび芦川村を訪れた。80年代後半のことだ。

 「当時からもう若い人は多くなかったけど、まだ高原野菜の出荷も盛んで生き生きとし
 た農村でした。おばあちゃんと一緒に人参を収穫したり、ほうれん草を袋詰めしたりし
 てましたね。でも去年行ったときは、あのとき手伝った畑が手付かずの森になっていて、
 ずいぶん変わったな〜と」


卒業論文は、芦川村の大正生まれのおばあちゃんの一代記の聞き書きである。
「参考文献ゼロですけど、誰も調査実習のレポートまとめてないから文句言えない。評価はもちろんAですよ!」と言ってまた笑う。

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卒業後はNHKに就職、ディレクターとして沖縄放送局に赴任した。沖縄の人は英語をしゃべっているんではないかというほど現地のことを知らなかったのだが、自分の性格の弱さを知っていたので、あえて遠方を選択したのだという。

 「沖縄でよかったのは、視聴者の顔が見えること。上司も、沖縄の人たちのための放送
 を作れというスタンスでした」

3年半後に東京に戻ってきたが、そこからわずか半年でNHKをやめてしまった。

 「東京は全国放送じゃないですか。誰に向けて作ればいいのかわからなくなっちゃった
 んです。沖縄向けの提案は却下されて、NHKとしては僕を育てようとしてたんですけ
 ど……わからなくなっちゃって。ある日、青森に取材だったんですけど、羽田空港に向
 かう途中で行けなくなってしまってそのまま失踪したんです(笑)」


逃避行の目的地は沖縄。しかし、手持ちの現金はない。銀行で預金を引き出すと足がつく……と妙に冷静な判断をした柴田さんが向かった先は、山谷だった。そこには、故郷の村から脱走してきて身寄りのない人、かつて殺人を犯した人などスネに傷持つ者たちが大勢いた。彼らに混じってマンション建設現場で稼ぎ、航路で沖縄へ。そこで、沖縄放送局時代から親交のあった人物にかくまってもらったのだが、その人物とはなんと、あの名曲「ハイサイおじさん」で有名な喜納昌吉だった。

沖縄で過ごすうちにやがて心も落ち着き、東京に戻りNHKに辞表を出した。そして、「民族文化映像研究所」で映像記録の基礎を学んだ後、映像制作会社「プロダクション・エイシア」を設立、『新シルクロード』『世界里山紀行』などの名作を制作している。

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『森聞き』の試写会を見て、ある女性は涙を流しながら柴田さんに語ったという。

 「彼女は子育てとかいろんなことを背負っていて、やりたいことがあってもそこから脱
 せない、どうしようもない状況だったんだけど、焼畑のおばあちゃんの言葉を聞いて、
 先が見えないところに光を与えてくれたと言うんです」


高校生たちと同じ目線に立ってみれば、より一層名人たちの言葉の深さが、まるで詩が響き合うように感じられるはずだ。

柴田さんの優しい眼差しが注がれた『森聞き』、是非観てください!!!
 

●長編ドキュメンタリー映画『森聞き』
3月5日より、東京・ポレポレ東中野で公開、以降全国順次公開予定
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★映画『森聞き』公式サイト




posted by 若手 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | ゴメス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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