2010年12月27日

自然エネルギーのみで南極点走破を目指す、ZEVEX代表・鈴木一史さん

トヨタ「プリウス」、ホンダ「インサイト」などのHV(ハイブリッド車)、EV(電気自動車)でいえば三菱自動車「iMiEV」、日産自動車「リーフ」など、従来のガソリン車とは一線を画すエコな次世代車が次々に市販され、注目を集めている。
ところが、まだHVやEVという言葉が一般的ではなかった90年代に、自動車の環境問題に取り組み、自動車メーカーに先んじてEVを手作りし、果てはそのクルマで南極点を走破する野望を持ったZEVEXという市民団体があると知って、興味が沸いた。

さっそくタカハシは代表である、鈴木一史さんに会いに、神奈川県大和市にあるZEVE Xのピットを訪れた。まず鈴木さんが見せてくれたのが、ZEVEXが製作したジムニーベースの「人力充電電気自動車」。徹底的に軽量化された車体は、ボンネット、ドア、ガラスなどは一切取り除き、最小限の“骨組み”とタイヤにシートは一つ。従来のガソリン車とは違い、エンジンの変わりにモーターとバッテリーが積まれ、動力源は電気のみ。外付けの風車とソーラーパネルを取り付けて発電し、万が一の場合は自転車をこいで発電。まさに自然エネルギーのみで走行が可能な排ガスゼロの手作りEV(電気自動車)があった。
(※人力で発電して走行する様子はyoutubeにアップされているので、そちらを見てほしい)



写真1.jpg
人力充電電気自動車と鈴木さん


 「計算上ではこれで南極点へ到達できるはずなんです」

ZEVEXとは「Zero Emission Vehicle Expedition」の略で、4WD自動車の環境問題を扱う市民団体。代表を務める鈴木さんは、中学時代にはバックパッカーで日本一周するなど根っからの冒険好き。高校時代には近所の裏山の獣道のような場所をバイクで探検して、たとえ行き止まりがあったとしてもバイクをロープで釣るし、別の道に移動させて走り続けたり、道なき道を進むことを繰り返していたという。そうした元来の放浪癖とクルマ好き、メカ好きが高じて4WDのオフロードレースにのめり込んでいく。93年にはZEVEXの母体となるオフロード競技会「IRON BAR CUP」(アイアンバールカップ)をスタート。A地点からB地点までの悪路を4WDで走破するのが目的で、ドライビング、ウインチ、体力など、ハードだけでなくソフト(ここでは人間の力)の両方を駆使することが求められる競技だ。

 「僕は“力ずく”というのは好きじゃないんです。走行の邪魔だから木を切ってし
 まったり自然の地形を無理矢理変えて進むということはしない。僕らがやっていたア
 イアンバールカップというのは、人間の知恵とかひらめきが勝敗の半分を左右するん
 です。狭い日本では自由にオフロード走行ができる場所は少ないけれど、いつか本当
 のオフロードに行ったときに通用するオフローダーを育成しようというのがアンアン
 バールカップの目的だった。そして、ひとつの極めた形を南極に定めていたんです」


しかし、97年にボルネオで4WDのレースに参加していたときに
 「川を走っていたら、クルマから出た煤とか油のような塊が川面をデロっと流れて
 いるのを見て、うわっと思った。4WDで遊び続けていくのに環境問題というのは
 大きなネックになるという思いは以前からあったんですが、このレースでそれを確
 信したんですね。レースは面白いけど、これは長くは続かないなと感じたんです。」



写真2 1997年 ボルネオの4WDジャングルレースに参戦.jpg
97年、ボルネオでの4WDジャングルレース

写真3 2003年2月 北海道アタック㈼ 北緯45度線上にて風車で充電中.jpg
風車を使い充電中の「SJ2001」号。北海道にて

写真42003年10月 東海道ゼロエッミションの旅「第2ステージ」 河川敷で充電.jpg
ソーラーパネルで充電中。東海道ゼロエミッションの旅

環境に負荷をかけない形で4WDを使って遊び続けるための解決方法はないものか……? そこで鈴木さんが目をつけたのがEVだった。

 「EVであれば目先の排気ガスは出ない。とりあえず素人でも取り組めるのはEV
 化くらいしかないなと思ったんです」


ガソリン車と比べてEVの構造自体はシンプルなもの。とはいっても誰もが簡単に作れるわけではない。ところが鈴木さんは4WD業界では知られたウインチのプロで、オフロード系の雑誌に記事を書くなど専門的な知識も持ち合わせていたという。モーターとバッテリーで動かすウインチはEVのシステムはほとんど同じなんだとか。

 「モーターやバッテリーの種類、トルクの特性など、EVのことは改めて勉強しな
 くても、すんなり理解できたんですね」


それが実を結び、ジムニーをベースにしたEVの製作に取り掛かり、およそ3年の月日をかけて1号機「SJ2001」号を完成させ、2000年冬には車検を取得。おそらく世界初となる、ウインチを搭載したオフロード専用の4WD電気自動車の誕生だった。

写真5.jpg
間宮海峡横断チャレンジは、前年に徒歩で調査を行なった

写真6 サハリン島内移動(北緯52度〜ポギビ村まで) ポギビ村まで後20km.jpg
間宮海峡横断チャレンジ中の「ARK−1」

写真7.jpg
間宮海峡横断チャレンジに参加したメンバー

ここから南極点走破に向けた様々な試みがはじまる。
2003年には北海道の厚田村とサロベツ原野で、積雪した場所を風力発電の自然エネルギーだけで走行できるかを実験。同年秋には風力発電機とソーラーパネルを積んだ小型のトレーラーを牽引し、「東海道ゼロエミッションの旅」を敢行。予定の3分の1の距離だったものの、およそ3週間かけて京都市から伊勢市(約150km)を走破した。2004年には寒冷地対策を施した新型の2号機「ARK−1」を製作し、2005年の2月から3月にかけてロシア・サハリン州に向かい、風力発電と太陽光発電で厳冬期の間宮海峡横断にチャレンジする。ビザ日数の関係で横断することは叶わなかったものの、南極に見立てた寒冷地でのデータ収集という目的は十分に達成できたという。こうしたデータと経験の積み重ねが、風力と太陽光に加え、人力でも発電できる冒頭の3号機「ARK−2」の製作に結実したというわけだ。

それに、ZEVEXの活動は南極点走破に向けた準備だけにとどまらない。今後のクルマ社会で当面現実的な次世代モビリティをPHV(プラグインハイブリッド)と位置づけ、「SJ2001」号をPHV(プラグインハイブリッド車)にカスタムし、2007年から2009年にかけて日本列島縦断の旅を成功させる(総走行距離3411.3km、燃費は52.03km/Lを達成!)など、自動車メーカーがどこも製品化していない段階でPHVを手作りして、その可能性を行動でいち早く示してきた。まさにガテン系の市民団体。行動力と現場力が圧倒的に強いのだ。

写真8 2006年9月 南極へ向けての強化チーム・トレーニング(座学)2 のコピー.jpg
南極点走破に向けてトレーニング

写真9九州ステージ.jpg
自作のPHVで日本列島を縦断

鈴木さんは取材で「ZEVEXを一言で表すとなんですか」という問いに「情熱のファンドです」と答えるという。

  「一人だけの情熱では大きなことはできない。けれど、一人一人の情熱は小さく無力な
 物かもしれないが、それらを集めれば大きなチャレンジができる。あたかも小さな資金
 でも、様々な市場で仕手戦を挑める『ファンド』の仕組みと類似していると感じるんで
 す。ただ、ファンドならば出すのは現金ですし、見返りは金額に按分して割り戻される。
 ZEVEXの場合は、技術が有るメンバーは技術を、人脈を持つメンバーは人脈を、金
 に余裕のあるメンバーは資金を、体力のあるメンバーは体力を、時間があるメンバーは
 時間を、と千差万別。そして還元されるのが、マイナス35度の凍った海の上で死にそう
 な思いができることだったりするんです」


自然エネルギーのみを使ったEVでの南極点走破。成功のためのデータはもう十分そろっているが、やり残していることといえば人力での充電を寒冷地で実証していないことぐらい。これも2011年の冬までにやり遂げる予定だという。

未開の土地なんて皆無に等しい現代において、冒険の意味は薄れてしまったかに思えたが、“前人未到”はまだ身近にあった。今でこそ関心の高い環境問題だが、HV(ハイブリッド)やEVなど耳にしたことがなかった90年代に、いち早く問題意識を持ち、学び、実験、行動してきた鈴木さん率いるチームが、次世代モビリティが注目を集める現代において、新たな冒険を生み出したのだ。“情熱のファンド”は、これ以上ない見返りと達成感を得るために、すでに手が届く場所にいる。さらに、技術革新ばかりで何事も解決しようとする世の中に一石を投じ、人間の本来の力を改めて感じさせてくれるZEVEXの活動に今後も注目していきたい。

写真10.jpg
「ARK−2」で雪道を走行する鈴木さん

写真11.jpg
プリウスPHVでも日本列島縦断を成功させる。名古屋の河村市長を訪問


★ZEVEX公式URL


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2010年12月09日

登山家・栗城史多さん×プロフリーダイバー・篠宮龍三さん 山と海のトップランナー対談

「水深115m、8000mの高峰、その領域は言葉を超えている」


12月6日発売の『週刊プレイボーイ』51号で、登山家の栗城史多(くりき・のぶかず)さん(28歳)と、プロフリーダイバーの篠宮龍三さん(34歳)に対談していただいた。顔立ちも生き方もどことなく似ていると周囲から言われていたというふたりは意気投合。約100分の対談のなかで、『週プレ』の誌面に収まりきらなかった話をここに公開!


taidan.jpg
意気投合する篠宮さん(左)と栗城さん(右)。東京・代々木公園内のWIRED CAFE FITにて。
撮影/山本尚明


まずはふたりの略歴を紹介しよう。

栗城史多さんは22歳のときに北米最高峰のマッキンリーを単独登頂して以来、これまで7大陸の最高峰のうち6大陸を登っている。今年2010年9月には、世界最高峰エベレスト(8848m)の単独・無酸素登頂に挑んだが悪天候と体調不良のため断念し、今は再度の挑戦を狙っている。これは実現すれば日本人初の快挙になるが、彼はそれだけに留まらず、「冒険の共有」という前代未聞の試みに挑戦しているのだ。ビデオカメラで自らを撮影しながら登りインターネットで動画を生中継して、エベレストと日本をつなぐという途方もない挑戦である。

一方の篠宮龍三さんは、空気タンクを使わずにフィンと少しのウエイトだけを付けて自らの力で海深く潜る「コンスタントウエイト」という種目で、現在115m(世界歴代5位)という記録を持っている。大学時代に映画『グラン・ブルー』を観てフリーダイビングに目覚め、会社員生活を経て世界一を目指すため2004年にプロに転向。当時もいまも、プロとして活動しているのは彼だけである。

ふたりとも、金もコネもないところから自分の足で歩きはじめ、スポンサーや協力してくれる仲間を集め、夢への道を切り拓いているトップランナーだ。


  *

最後は人のいるところに
帰ってこないといけない



篠宮 栗城さんのチャレンジは、見ているとすごく応援したくなっちゃうんですよね。
   フリーダイビングもそうだけど、山もひとりで行って帰ってくるという孤独な世
   界じゃない? 競技をやっていると、なんでもひとりでやらなきゃっていう気持
   ちが強くなってくるんです。ひとりでトレーニングして、ひとりでスキルアップ
   して、ひとりでお金を集めてというふうにどんどん孤独になっていくものなんで
   すけど。でも、栗城さんの、素直に自分をさらけ出して多くの人と夢を共有する
   チャレンジを見ていて、これからは自分ももっとチームとして動いていく方向に
   シフトチェンジしていきたいなと思いましたね。

栗城 僕も最初は、いまのようにチームで動くのではなく、山を100%感じたいと思っ
   てずっとひとりだけで登っていたんです。でも、ひとりで登ると大きな達成感は
   得られるんだけど、だんだん限界を感じてきたんですね。山を登って、次に向か
   うのはまた山だった…みたいな。これじゃあ、どんどんエスカレートしていって
   最後は死んじゃうんじゃないかというところが見えたんです。それではダメだ、
   山での経験をいかに地上でいかして生きていくかが大事なんだと思って。その頃
   から、動画配信の企画とかが始まったんですね。

篠宮 自分にはもう海しかない、山しかないとなったらとても危険なんですよね。それ
   では何も残せない。海や山で経験したことはけっして異常な体験ではなく、普遍
   的なメッセージとして一般社会で語れると思うんです。だから、最後は人のいる
   ところに帰ってくるということがなにより大切ですよね。僕もひとりで潜ってい
   くわけですけど、いちばん嬉しい瞬間って、一番下に到達したときよりも、水面
   に戻ってきてサポートしてくれる仲間たちが迎えてくれるときなんです。本当に
   「ありがと〜!」って気持ちになる。

栗城 中継のための仲間がベースキャンプにいるわけですけど、ひとりだけで活動して
   いたときには感じられなかったことがいまでは感じられます。篠宮さんは、いま
   の記録は115mですよね。次の目標は?

篠宮 いまの世界記録が124mなので、125m以上のところですね。僕の最終的な目標
   は131mです。この記録は、ウンベルト・ペリザリという僕の師匠のイタリア人
   が、機械を使って潜る種目で最後に出した記録なんですけど、僕はフィンをつけ
   て自分の力で泳いで行く「コンスタントウエイト」という種目でこれにチャレン
   ジしたいですね。

栗城 無酸素で…すごい領域ですね。

篠宮 かなり生死を意識する領域で、究極のチャレンジになりますね。でも、困難な目
   標をたてて、それをいかにしてクリアするか考えるのが面白いんですよ。栗城さ
   んも本(『NO LIMIT自分を超える方法』)に書いてますよね。「成功する確率。
   それがなんの役にたちますか?」って。

栗城 やっぱ、それがロマンですよね(笑)。
   もうエベレストにはたくさんの人が登っていますが、僕は人が見たことのないも
   のを伝えたいと思って、動画配信とか、ほかにも講演会やTVドキュメンタリー
   もやっているんですけど。でも、本当のことを言えば、8000mの世界を100%
   人に伝えることはできないんですよね。篠宮さんの115mの世界も、みんなはわ
   からないじゃないですか? ただ、以前は伝わらないことにもどかしさを感じてい
   たけど、今は全部が伝わらなくてもいいかなって思うんですよ。自分だけ知って
   いる部分があるのもロマンチックだなって(笑)。

篠宮 自分だけが知っている喜びというか蜜の味というかね(笑)。
   どんなに想像力を働かせても経験していないとわからない世界は残りますよね。

栗城 以前、ネパールのポカラという街で、ラインホルト・メスナーさんというイタリ
   ア人の登山家に偶然会ったんですよ。彼は世界で初めてエベレストの単独・無酸
   素をやり遂げた人なんです。スタッフが僕のことを説明してくれて、彼も僕に興
   味を持ってくれていたので、エベレストのことを聞いてみたいな〜と思ったんで
   すけど、聞かなかったんですよ。メスナーさんも言わなかった。それってすごい
   美しいというか(笑)、言葉で聞いてしまうと簡単にヒントをもらってしまうし、
   やっぱり自分で答えを見つけるものなんだと思うんですよ。だからそのときは全
   然関係ない話をして、また会おうねって別れたんです。


kuriki.jpg
撮影/山本尚明


篠宮 フリーダイビングも、110とか120を超えた選手は、その世界をあまり言葉で話
   さないですよ。僕がいちばん仲良くしているフランスのギョーム・ネリーという
   選手がいて、彼と僕は同じ日に115mという自己最高記録を出したんですけど、
   115mがどれだけすごかったとか言葉では話しませんでしたね。終わってオツカ
   レ!って握手をした瞬間に、ビビッと伝わるんです。握手とハグで、もうすべて
   伝わるんですよ。エベレストのピークをとることも、もう言葉を超えている領域
   だと思います。だから、非常におこがましい言い方ですけど、栗城さんはエベレ
   ストを登頂した後に、メスナーさんにまた会うと思うんですよ。それで、握手を
   した瞬間にすべて伝わると思いますね。話は変わりますけど、僕らが生まれた
   70年代や80年代に、メスナーさんとかジャック・マイヨールが山や海で偉業を
   成し遂げて、多くの日本人は度肝を抜かれたと思うんですよね。でも今、その世
   界に僕ら日本人が追いついてきたというのは、やったぜ! と思うんです。  

栗城 アッハッハ(笑)。そうですね!

篠宮 多くの日本人は常識から外れることを恐れるし、リスクをとらないじゃないです
   か。でも、憧れは外国人にばかり持つものじゃなく、日本人もやってみればでき
   ることもあるし、好きなことをやっても生きていけるんですよね。

栗城 ネパールなどの山岳地帯に行くと、貧しい地域も多いんですよ。日本みたいに
   ちょっと歩けばコンビニがあって、100円出せばオニギリが買えるような国はな
   かなかない。いまは就職難とか不景気と言われているけれど、お金はなくても携
   帯電話は持っていたりとか、すごく恵まれていると思うんです。だからいろんな
   ことにチャレンジできる。インターネットを通して自分しか持っていない感性や
   価値観を、それを必要としている人に伝えたり。本当は今の時代、若い人はもっ
   とやりたいことができると思うんですよ。


shinomiya.jpg
撮影/山本尚明

  *

結果に執着しないということ

篠宮 エベレスト登頂に失敗したときにはすごく悔しいんだろうけど、栗城さんは失敗
   をトータルで考えられているように見えます。栗城さんはいま28歳ですよね? 
   僕が28歳のときは、プロになって間もないときで大スランプだったんですよ。
   エゴのかたまりだった。プロになったんだから結果を出さなきゃとか、誰よりも
   練習しているんだからうまくいくはずだとか、執着すればするほど失敗を繰り返
   してスランプに陥っていったんですね。でも、栗城さんはまだ若いのに、結果に
   執着せずに、失敗しても飄々とまた行ってきます!みたいな雰囲気がすごいと思
   いますね。

栗城 当然失敗して帰ってくると山岳の先輩やいろんな人にいろんなことを言われるん
   ですけど、要は失敗やスランプをどうとらえるかが大事なんだなと思います。
   そういうものがあるから次が光り輝くと思うし。いま、僕はまだもう一歩の踏ん
   張りが必要なところにいるんだと思います。もう一歩超えたところにチェンジし
   ていかないといけない時期なのかなって。ところで、フリーダイビングの場合は、
   インターネットで中継するっていうのは難しいんですかね?

篠宮 カメラがちゃんとセットアップされていればできます。ヨーロッパでは生中継で
   飛ばしてTVで見せたりもするし。でも、世界記録を生中継っていうのはまだやっ
   ていないから、これをやったら面白いですね。

栗城 是非観てみたいですね。

篠宮 でも、ブラックアウト(失神)する可能性もあるので、それを全世界の人に見て
   もらう覚悟はあるのかと(笑)。
   でも、リアルタイム感というのは、これからの時代のポイントのひとつになって
   くると思うし、今やってるぞという感覚を共有できるのは面白いですよね。

栗城 ものすごくお金かかりますけどね(笑)。
   僕は3年前から動画配信を始めたんですけど、当時はUストリームもまだなくて、
   いろんな企業に企画を持ち込んだけど最初は誰も相手にしてくれなくて、借金し
   てむりくりやってました。極地用の中継のシステムをゼロから作ったり、米軍用
   の機材を使ったりとか。今年はエベレストからの生中継に成功したんです。
   でも、技術が進歩していくうちにアイフォンひとつで中継やる人が絶対出てくる
   と思うんですよ。エベレストの頂上とかから。

篠宮 エベレストなう、ですね。

栗城 それをやられたら正直、悔しいですね(笑)。


   ☆ 


(プロフィール)
栗城史多
1982年生まれ。北海道出身。04年、北米最高峰のマッキンリーを単独登頂し、登山家になる。07年、ヒマヤラのチョ・オユーを単独・無酸素登頂し、動画配信を始める。09年のダウラギリではインターネット生中継に成功。著書に『一歩を越える勇気』(サンマーク出版)、『NO LIMIT(ノーリミット)自分を超える方法』(サンクチュアリ出版)がある。
栗城史多オフィシャルサイト

篠宮龍三
1976年生まれ。埼玉県出身。大学時代にフリーダイビングに出会い会社員を経て04年にプロ転向。08年、バハマにてアジア人初となる水深100mを達成。09年、ジャック・マイヨールを超える107m、2010年4月に115mに到達。同年6月には自身がオーガナイザーとなり沖縄で世界大会を開催した。著書に『ブルー・ゾーン』(牧野出版)がある。
篠宮龍三オフィシャルサイト


NO LIMIT ノーリミット 自分を超える方法 [単行本(ソフトカバー)] / 栗城史多 (著); サンクチュアリ出版 (刊)
NO LIMIT ノーリミット 自分を超える方法 [単行本(ソフトカバー)] / 栗城史多 (...

ブルー・ゾーン [単行本] / 篠宮 龍三 (著); オープンエンド (刊)
ブルー・ゾーン [単行本] / 篠宮 龍三 (著); オープンエンド (刊)

・撮影/山本尚明
・取材協力/WIRED CAFE〈〉FIT(URL◆http://www.wiredfit.jp/



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